★ 日日行行(358)
* 本ブログ(340)(341)でスズランのことを書きました。とうとう咲いたわたしのスズラン!一株だけですが、ここに「活け」させてください。 続きを読む |
* 本ブログ(340)(341)でスズランのことを書きました。とうとう咲いたわたしのスズラン!一株だけですが、ここに「活け」させてください。 続きを読む |
* And my heart will go on and on ・・・で少し涙がにじみましたね。緊急事態宣言解除という報道の余波だと思いますが、ときどきあるのですが高速道路をひとりで音楽を聞きながら疾走しているときに突然、涙が出ることがある。前にベートーベンの「田園」で文字通り号泣した話はすでに書いたことがありますが、今回は号泣とまではいかず、しかし夕陽に染まる西空に向かって走りながら、終わりなきカタストロフィーの時代を疾走するわれわれ人類の運命を思いました。 続きを読む |
* (2) |
* 4月9日の本ブログ(319)に中国の雑誌「南方人物週刊」にわたしのテクストがアップされましたと書きました。そのテクストの日本語原文を公開しようかな、という気になりました。コロナ・ウィルスについて真正面からあまり書いていないので、この際、あのおかしな?テクスト原文を本ブログでも2、3回にわけてお披露目しようかな、と。ある女性が「素敵な原稿」と言ってくださったのに勇を得て。以下、その第1回です。 続きを読む |
* 『日常非常、迷宮の時代1970-1995』(未来社)の見本が届きました。「オペラ戦後文化論2」ということになります。260頁、2800円。来週には書店に並ぶのではないでしょうか。 続きを読む |
* 「本というものは、現在進行中の仕事あるいは細部まで検討された計画といった形でその輪郭が見えてしまうときよりも、遠い夢想の彼方に青みがかった光のように夢見られているときがもっとも美しい。そのとき本はまだ、テクストという文字の集積としてではなく、夢の物質化とでも言うべき優しい光の空間として現れている。そのページは夢の襞であり、ノンブルは旅の標識である。白紙の表面にはのびやかなエロスの肌触りがある。」 続きを読む |
* 前回から少しあきました。山は2泊で戻ってきたのですが、その後の週末は孫たちの相手でくれていきした(今日も「保育園」開業かな?娘たちのリモート・ワーク支援に、無職の爺さんがかり出されるという構図。)楽しくないわけではないですけれど・・・ 続きを読む |
* 昨夜といっても日本時間の今朝早朝ですが、南仏ビオットのケイコさんとミッシェルさんとがやっている「Le fil d'or」(金の糸)の会が、zoomをつかって、おこなわれたようです。わたしにも参加を、と求められたのですが、午前2時だし勘弁してくださいと、先日のアカデミーヒルズのために書いたテクストを少し直したものを送って読んでもらいました。 続きを読む |
* 今夜の十六夜の月も冴え冴えとしてすてきでした。誘われるように、今日は夜の散歩にして、ずっと月影を追いながら歩いていました。 続きを読む |
* 出てきました!たしか半月ほど前の本ブログ(333)でリオタール先生の「老い」についてのテクストの話をしました。そして原文がみつからない、とも。その原文がみつかりました。が、驚いたことに先生の手書きでしたね。 続きを読む |
* 緊急事態宣言は延長されるようですが、今日5月6日がひとつの区切りではあるかな。このブログも今日の日までは毎日書いてみようか、と4月に思ったのでした。とりあえず、毎日書くことを自分に課するのは今日までにしようかな。気分しだいなので、わかりませんが。 |
* 「真に詩的であるような翻訳、一個の奇跡であるような翻訳が起こるとき、ひとつの言語への関係においてなにかを約束するような翻訳が起こるとき、そう、翻訳が起こるとき、われわれは、言語というものがいったい何であるかを経験するのです。」(J・デリダ) 続きを読む |
* 長年大学の研究室に溜め込んでいた膨大なドキュメントを狭い自宅に運びこんで、毎日少しずつ整理して捨てています。また同時に、前にも言いましたが、少しずつですが、わたし自身は「フランス現代哲学」とどのように遭遇したかをまとめようとしています。そうしたら、今日、発見がありました。 続きを読む |
* 「人間というのは都市の中でしか生きることができない。そして都市は必ず歴史をもっている。こうした人間の現実のなかで希望とは何か。希望とは決して明るい未来が切り開かれることではなく、何かより幸福な生活が訪れることでもない。何が希望かと言えば、自分では読み解けない文字の中にいてそこで生きているのだということをわれわれが少しでも自覚すること。それしか希望はないのだと思います。」 |
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