破急風光帖

 

★  日日行行(315)

2020.03.31 Permalink

* 「とするならば、〈黄金〉とは〈自我(ぼく)〉の〈死〉という幻想の輝きであると言ってもいいか。コロナのように、生命という〈太陽〉が〈霧〉に覆われるとき、はじめて見えてくる、周囲に燃え上がる黄金の光。生は〈死〉のコロナの光輝に包まれており、その黄金のコロナを、いま、詩人は、まるで〈不吉な卒塔婆(ストウーバ)のように〈空〉に書く」。

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★  日日行行(314)

2020.03.29 Permalink

* 「私たちは、人類が今まで通り抜けたことのない試煉を前にしており、ゆえに経験という根本的なデータが欠けています。経験とは予期せぬ事態を対処した蓄積です。私たちにはこの蓄積が欠けており、予期せぬ事態で何をすればいいか分かっていません。」(プリーモ・レーヴィ)

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★  日日行行(313)

2020.03.28 Permalink

* 「この事態が、地球上の誰にとってもとても切迫した問いだということ、そこに〈希望〉を見出したいですね。思想や宗教といった既成のイデオロギーでは立ち向かうことができない新しい現実が、すべての人に、まさに等しく、開かれている。誰もがこの現実に直面している。誰もがそこで、意識的にしろ無意識的にしろ、〈わたしは何であり、わたしは誰であるのか?〉という問いをつきつけられている。それこそが〈希望〉ですね。」

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★  日日行行(312)

2020.03.27 Permalink

* コロナ・ウィルスの猛威、一向に衰えません。それを、フィロソフィアの徒として、どう受けとめるのか、短いエッセイを今日は書いていました。

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★  日日行行(311)

2020.03.25 Permalink

* 本を読んでいる余裕がありませんでした。
  まずは税金の申告。前年の確定申告をすませないとその年が終った気がしない。で、3月10日以降にドタバタと自分で計算して税務署にもっていくという「儀式」を、32歳のときから毎年続けているのですが、今年はコロナ騒動で期限がのびていますが、ここで終らせないと新しい年がはじまらないぞ、と奮起して、格闘し(数字は苦手なのです)、やっと提出しました。

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★  日日行行(310)

2020.03.22 Permalink

* 「きみは真鍮の溝の上に左足を置き、右肩で扉を横にすこし押してみるがうまく開かない」(ミシェル・ビュトール『心変わり』、清水徹訳、岩波文庫)

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★  日日行行(309)

2020.03.20 Permalink

* 「ゴーギャンはタヒチに赴き、彼の画布は明るく輝く。ファン・ゴッホ、モディリアーニ、ピカソがパリに来る。すると彼らはそれまでとは違った人間になる。断絶という事件のなかでしばしば起こるのは、人がかつての自分からというよりも、社会や時代のさまざまな事情によって作りなされていた自分から脱皮するということである。しばしばそれは深いところにひそんでいる力を解放し、意識下を、無意識を解放することにほかならない。私たちの生はひそやかに流れるそれらの水の上を走るのだが、その速度が運河の水面を行くゴンドラのそれより遅いのは確かだ。」(フェルナン・ブローデル『都市ヴェネツィア』岩崎力訳、岩波書店)

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★  日日行行(308)

2020.03.16 Permalink

* 「密度行列は、単なる単一の状態ベクトルではなく、いくつかの可能な代替状態ベクトルの確率混合を表現するものと考えることができる」(ロジャー・ペンローズ『心の影2』(林一訳、みすず書房)

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★  日日行行(307)

2020.03.14 Permalink

* 「わたしの精神は、わたしの魂の夢想である」
(Stephen Jourdain, La bienheureuse solitude de l'âme,éd. ACCARIS 2003)

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★  日日行行(306)

2020.03.13 Permalink

* 「ただ、同時に、人間には、苦痛と快感を・・・このまったく反対なものを一緒にしうるような領域があるんですよね。芸術は最終的にはそこに突入する・・・芸術とは単に、心地のよい環境を与えることではなくて、芸術がなぜ必要かというと、芸術はどこかで絶対的に苦痛な体験・・・なんですよ」

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★  日日行行(305)

2020.03.12 Permalink

* 「権は、経・常・正といった語に対する言葉で、仮のやり方である。権道とか権現というのがそれにあたる。それはもともと権が秤で重さを量ることであって、計るとか判断するという意味をもっていることに由来している。」(中島隆博『悪の哲学』、筑摩書房、2012年)

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★  日日行行(304)

2020.03.10 Permalink

* 「四歳の頃、祖母は私を毎日のように森の散歩へと誘いました。その森で、私は迷ってしまったのです。一人ボッチで森を彷徨っていたあいだ、私を取り巻く樹々は、いわば全て知恵の樹だったのです。その時、私は静まり返った森の調和と、私にひたひたと押し寄せる恐怖のメロディーとを感じていました。その日、私は自分自身を明確に意識しました。しばしば恐怖と苦痛は、通常は日常の調和の影に隠れている自我を目覚めさせます。」(V.アファナシエフ『天空の沈黙』田村恵子・訳、未知谷、2011年)

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★  日日行行(303)

2020.03.08 Permalink

* 「そこでは、風がごうごうと音を立ててうなっている。その風はトランスモンターニャという固有の名前、独自の人格、その神秘的な起源や存在理由をもっている。春と秋には、人が倒れる程の強い風が吹く場所なのだ。それで気が変になるくらいだとさえいわれる。追憶するという義務を全うするために、風のことを記念碑だと呼ぶような蛮勇や狂気をもちえた国家、宗教、あるいは共同体をわたしたちは想像することができるだろうか?」(マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(金子勇ほか訳、水声社、2016 年)

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★  日日行行(302)

2020.03.07 Permalink

* 「福永さんは本当にダンディーだったから、電車に乗っていても何となく人目をひいた。淡い黄色やモーヴ色が好きだったが、そんな色の服を来ている人は、今と違って殆どいなかったのである」(辻邦生、「のちの思いに」44)

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★  日日行行(301)

2020.03.06 Permalink

* 「だが、どんな場合でもそうだが、隠されたものは、かならず致命的な仕方で回帰してくる」/「人間の生の意味は、なによりもわれわれの無意識の奥にある根源的な〈死〉の衝動との不断の戦いにあり、そしてほんとうの〈愛〉の経験こそが人間をそうした深奥にある〈死〉の領域に連れ出すのだ」。

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★  日日行行(300)

2020.03.05 Permalink

* 「今日、初雪が降った。日中、何回かにわけて、そのたびごとに違った降り方で。でも、溶け方はまったく同じ。突き固められ、平準化されたアスファルトと地面は、まだ緑の色をした枯れ葉で覆われているのだが、それが雨のあとのように湿ってしまうのだ」(アンドレイ・タルコフスキー「初雪」)

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★  日日行行(299)

2020.03.04 Permalink

* 「1957年58年に、ロスコーが描いた絵画作品の前に佇み、立ち止まる人は誰でも、自分の眼差しを引き寄せ、引き止めるドラマ化dramatisationというものが、なによりもそこで絵画が、カンヴァスの面のあらゆる種類の外的そして内的限界づけというものを揺り動かし、それと戯れ、それを解体するところからこそやってくるということに敏感にならざるをえないのだ」(マルスラン・プレネ、『Rothko, et la France」(Les éditions de l'Epure,1999)

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★  日日行行(298)

2020.03.02 Permalink

* 「世界はゆらいでいるのであり、クレオール化していくのである。すなわち世界は、森と海、砂漠と氷原といった、脅かされているあらゆるものを混ぜ合わせ、また慣習や文化、さらには、ついこの間までアイデンティティと呼ばれ、その大方が破壊されてしまったものを変化させ、互いにまぜあわせることで増殖していくのである」(エドゥアール・グリッサン『ラマンタンの入江』立花英裕ほか訳・水声社)p.79

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★  日日行行(297)

2020.03.01 Permalink

* 「私が初めてそのことになんとなく気づいたのは、日本の哲学の特徴について小林康夫と話をしているときだった。『日本の歴史や文化の中に、哲学に似たものを見出そうとするくせが私にはありますと小林はいった。ただしそれはプラトンやアリストテレスのの哲学のような、『世界を概念的に再構築するものではない」。そうではなく、『人間と世界の境界面」で生じる「ある種の審美的な反応にもとづくもの』であり、『いちばん身近なもの』に『とても敏感』に反応する体験的なものだ。それは『日本の哲学的な思想の魅力』であると同時に,『問題』でもあるという」。(ジュリアン・バジーニ『哲学の技法』(世界の見方を変える思想の歴史)、黒輪篤嗣・訳、河出書房新社)

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