破急風光帖

 

★  日日行行(345)

2020.05.05

* 「真に詩的であるような翻訳、一個の奇跡であるような翻訳が起こるとき、ひとつの言語への関係においてなにかを約束するような翻訳が起こるとき、そう、翻訳が起こるとき、われわれは、言語というものがいったい何であるかを経験するのです。」(J・デリダ)

 昨日「発見」した(わたしの質問への)デリダの回答、今日、翻訳しましたけど、これがまさに翻訳論でした。ベンヤミンの「翻訳者の使命」をもとにしたデリダの日本での最初の講演(「バベルの塔多数」)の一節です。本質的に詩的な、予言者的なテクストという出来事についての質疑なのですが、1983年だからもう十数年前のこと。わたしは33歳くらい、駆け出しのフランス語教師だった頃ですね。でも、デリダとの関係は、まさにここに集約されている、と訳していて思いました。
 わたしにはデリダを日本語で読むということは考えられない。またデリダの哲学のテーゼを論じるデリダ論を書くことはできない。デリダとは、わたしにとっては、詩というテクストの出来事が起こる、その「署名」の名だったのですね。そのことをあらためて思い知りました。
 出会いとは、そうなのです。そのほんとうの意味は、ずっとあとになってはじめて(少しだけ)わかるのかもしれませんね。Survie(「死後の生」というか、「生き延び」というか)ーーー翻訳がその「学び」を思い出させてくれました。


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