破急風光帖

 

★  日日行行(303)

2020.03.08

* 「そこでは、風がごうごうと音を立ててうなっている。その風はトランスモンターニャという固有の名前、独自の人格、その神秘的な起源や存在理由をもっている。春と秋には、人が倒れる程の強い風が吹く場所なのだ。それで気が変になるくらいだとさえいわれる。追憶するという義務を全うするために、風のことを記念碑だと呼ぶような蛮勇や狂気をもちえた国家、宗教、あるいは共同体をわたしたちは想像することができるだろうか?」(マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(金子勇ほか訳、水声社、2016 年)

 ベンヤミンが亡くなったスペインの(フランスとの)国境の町、ポル・ボウを訪れたときの話を書いた書名と同題のエッセイのほぼ末尾です。370頁くらいのこの本、じつは、今回のパリ旅行のあいだにずっと読んでいました。タウシグは、オーストラリア生まれの文化人類学者ですが、わたしが読むのははじめて。1940年生まれだから、わたしより10歳上。わたし自身もかつて、ベンヤミンが死を選んだこの場所にいかなければ、という思いから、フランスから車で日帰りで行ったことがありました。それもあって、この本を読んでいました。なにか共感するものがあります。わたしは、この著者のように、現地でベンヤミンの国境越えの案内をした女性に連絡をとったりしなかったし、ただちらっと訪れただけなのですが、自分の行動を通して文化を考察していくまさに文化人類学的なスタイルにとても共振するものを覚えます。ここに、未来の人文学の可能性があるように感じるのですね。自分の感覚行為をとおして、歴史的な「存在」の意味を問うていく作業・・・・まあ、それはそれとして、ベンヤミンほど、わたしを世界のあちこちに行かせた人はいませんね。サン・ジミニアーノ、ワイマール、ボル・ボウ、もちろんベルリンのティーアガルテン・・・でもイビサにもモスクワにも行ってない。そして、『存在のカタストロフィー』(未来社)のなかに書きましたけれど、2012年パリ15区のドンバル通り10番地の建物の前に佇んで、わたしの長いベンヤミン巡礼の旅にも終止符をうちました・・・かれこそ、わたしにとっての「思考の天使」であったことは、まちがいありません。


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