破急風光帖

 

★  日日行行(312)

2020.03.27

* コロナ・ウィルスの猛威、一向に衰えません。それを、フィロソフィアの徒として、どう受けとめるのか、短いエッセイを今日は書いていました。

  王前さんを介して、中国の雑誌から頼まれた原稿です。ひとつのチャレンジと受けとめて、なにか「わたし自身の哲学」を起動させたいと思っていますが。まだ半分くらいかな。

 昨日は、ひさしぶりの駒場で、原瑠璃彦さんの〈州浜〉についての長大な博士論文の審査会でした。コロナのせいで、観客なしの閉じた審査でしたが、わたしは、こういうことになると、勝手にテンションがあがるので、ひさしぶりに「Yasuo節」全開だったですね。
 つまり、いつもそういうところがあるのですが、相手は数年かかって地道に研究を積み重ねてそれを博論にまとめているというのに、わたしはその博論だけを読んで、自分だったらこの材料をどう論じるかを考えてしまうのですね。これがスリリング。徒手空拳で、重厚な研究成果に挑むというか。しかも今回は、なにしろ古文すらまともに読めないわたしですから、まったく歯が立たないのですが、それでも駒場に行く電車のなかで降りてきたひとつのアイデアがあって、それが自分にはおもしろくて、つい「場外乱闘」(これは田中純先生の言葉でしたが)を繰り広げました。まあ、老人の錯乱というところでしょう。でも、楽しかった。審査を楽しむなんて不謹慎かもしれませんが、これは、わたしの「性」ですね。

 これで、今年度のすべての仕事が終わり、晴れて、無職の高齢者になりました。どうもいまのご時世では「stay at home」と言われる歳ですね。だから、1日家にいて、コロナから出発してどう「希望」を語るのか、その哲学的冒険を試みていますが、なかなかきびしいですね。ウィルス的存在論みたいな妄想が頭を過りますが・・・

 今年の櫻は、こころなしか、色が淡いような気がします。悲しみに満ちているような。今夜の強風で、その櫻も散ってしまうのでしょうか・・・


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