破急風光帖

 

★  日日行行(315)

2020.03.31

* 「とするならば、〈黄金〉とは〈自我(ぼく)〉の〈死〉という幻想の輝きであると言ってもいいか。コロナのように、生命という〈太陽〉が〈霧〉に覆われるとき、はじめて見えてくる、周囲に燃え上がる黄金の光。生は〈死〉のコロナの光輝に包まれており、その黄金のコロナを、いま、詩人は、まるで〈不吉な卒塔婆(ストウーバ)のように〈空〉に書く」。

 これを書いたのはわたし、「オペラ戦後文化論Ⅱ」の2回目、2016年だったはず。いま、ゲラを校正しているのだが、この自分の言葉にやっぱり立ち止まってしまう。ここで「詩人」というのは、吉増剛造さんのこと。1970年に出た彼の『黄金詩篇』を論じる文脈です。
 ここでコロナという言葉が出てくるのは、わたし自身が2002年頃だったか、『祈りのコロナ』という論文を書いているからなのだが、毎日「コロナ」という言葉に接する度に、わたしは自分が、ほんとうに本気で書いたこの結構長い大論文のことを思い出します。これをつづけることができなかった、というのが、いまだに、わたしのひとつの悔いですが、そのころからUTCPという組織のリーダーとなって、その展開に人生を捧げた。それはそれでいいし、悔いはまったくないのだけれど、あのとき一大決心をして書いた論文のあとをつづけることはできませんでしたね。

 それがいま、甦ってきます。
 まあ、こちらとしては、思い切って、高台から飛び降りるような気持ちで書いたのだったけれど、いかなる反応もなかったことに、少し気落ちもした。でも、いまその「コロナ」が戻ってくる。やはり続きを書こうとしなければならないのかもしれない、そう思います。

 今日、3月31日をもって、わたしの大学のキャリアは終わり。明日からは、さあ、どうなるのでしょう?
 中国の雑誌「南方人物週刊」のために1日で書いた原稿では、自分のことを「野原の哲学者」と規定していましたが。野原で草を摘むように、花を拾うように、言葉を紡いでいきたいですけれど。
 
 ある意味、自分勝手な「好き放題」の人間なのかもしれないわたしですが、人生のこの転機にあたって、これまでつき合ってくださったみなさまに、心から感謝をもうしあげます。

 (いまのところ、このブログは、継続させてもらい、時々、近況をアップさせていただくつもりです。)


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