破急風光帖

 

★   日日行行 (85)

2017.04.23

* 昨日22日(土)は、朝、東名高速をくだってヴァンジ彫刻庭園美術館へ。日高理恵子さんの展覧会「空と樹と」のオープニングでした。

 11月30日までの長期展示の展覧会ですが、日高さんは前日まで美術館に泊まりこんで作品を仕上げていたとか。カタログへの執筆を頼まれたこともあって、彼女を車に乗せていろいろ話しをうかがいながら、ふたりでクレマチスの丘に行きました。はじめて行ったのでしたが、なかなかエレガントな場所でした。ただ時間がなくてゆっくりほかの展示まで観る時間がなかったのが残念。日高さんのトークも半分まで聞いただけで、ひとり抜け出しまた東名を戻りました。

 というのも、夜に、ブルガリアのソフィアから来たボイヤン・マンチェフと会うことになったからで、3年前のフランスのラ・トゥーレット修道院で、カミーユ・ファーレンと3人で哲学の話しをしたその「続き」を、今度は、東京の和食のカウンターでじっくり3時間。「雲」から「天使」、「連獄」、「世界」、「歴史」に至るまで幅広いトピックを語りあいました。そして、かれからは、いまだにYasuoの名はソフィアでは「伝説」となっていると、ソフィアを訪れたときに、大学を占拠している学生たちの前で即席のスピーチをしたことが記憶されているときいて、ソフィアという街がわたしの人生と結んだ不思議な関係に思いが行きました。来春、もう一度訪れようかな、とボイヤンとも話しあった次第。こういう「知」の「友情」が世界のなかに広がっていることをわが身おいてに感覚できることこそ、UTCP15年間のかけがえのない意味ですね。激しく、そしてやさしく、純である。
 でも、昨夜、ボイヤンとも話しあいましたが、いまこそ、世界中の「思考する人間」が、人類の未来にどのような地平を開くべきか、を真剣に話しあわなければならない決定的な時機なのに、むしろUTCP的活動は縮減されるばかり。たいした予算などいらないのに、「思考」のための「国際的な場」を維持するための資金がどんどん少なくなっています。でも、「思考」というのは、あくまで「個人」の思考、人と人が出会って、昨夜のように、それぞれの精神の振動が触れ合うようにしながらコミュニケーションしないことにはなにもはじまらない。学会みたいな場で一方的な「発表」を行っても、はたしてほんとうのコミュニケーションが起るのだろうか。そう、ボイヤンが、Yasuo のUTCPを惜しむと言ってくれたのには、泣けました。


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