破急風光帖

 

★  日日行行(652)

2024.02.18

* 「日常非常」というのは、オペラ戦後文化論Ⅱのタイトルの一部ですが、「日常」のリアリティと「非常」のイマジナリーが交差するところに「わたし」という「無」があるという感覚はどこかずっとわたしにはあるような気がしますね。

 「存在」というものを、そのような「デモーニッシュな」ものと考えようとするのは、結局、若い時から一貫してわたしの思考の方向性だったように思います。いや、最近、ちょっと必要があって、昔、自分が書いたものを読みなおしていたりすると、ああ、結局、こいつは、そういう「実」「虚」の波打ち際を危うくとぼとぼ歩いてきたんだ、という感じもしますね。どうしてこうなったんでしょうね?ボードレールについて書いた修士論文の「存在の冒険」から昨年、出版した「存在とは何か」まで、ただただ「存在」という言葉が示す「なにか」を「生きる」ことを考えてきたのかもしれません。もちろん、いかなる成果もあがっていませんが・・・だいたい「成果」などというものはない。そこが「デモーニッシュ」なんですね・・・(すみません、今回は、ちょっと虚に振れていますね)。


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