破急風光帖

 

★  日日行行(237)

2019.04.22

* ノートル・ダム大聖堂炎上のニュースがとびこんできた日から、ふたたび風邪気味になって咳が出て数日、結構つらかったですね。ノートル・ダム・ショックでしょう、とも言われましたが。そうかもしれません。風邪というより昔悩まされた喘息気味の咳でしたから。

 日本の方からわたしに「お見舞い』メールがとびこんできたり、パリからもメールが来たり、いずれにしても、時代のひとつの予兆という感覚は降りてくるので、いよいよ切迫。でも、とりあえずは、「現在」に向かい合うしかない。4月の柔らかな陽射しが差し込んでくるこの「現在」。でも、それも「カオス」。「現在」を一個の「カオス」として注視するしかない、そんな感覚です。
 先日、本郷のEMPの講義の一環で、論文を書くというゼミを、中島さんほかの先生方と担当することになったのですが、その初回に、朝、突然思いついて、Twitterをテーマに論文を書くと仮定して、自分なりの問題設定、問いを考えてみるというエクササイズを課してみました。わたしはTwitterはやっていないのにね。
 でも、たとえば1年後に、このブログからTwitterにメディアを移して、たえず「さえずる」というようなことを考えないでもないですね。でも、いったい何をさえずり、つぶやくのでしょう。全然、わかりません。140字!以内。「高橋悠治のピアノでサティを聴きながら、春の明るい薄曇りの空をながめています。いま書いている原稿、あと一歩なんだけどなあ、ああ、来て、来て、金色の鳥よ、わたしの肩の上でさえずっておくれ!」ーーーーこんな感じなんですかね?よくわからん。でも、わたしの場合、やったらこの調子になることはまちがいないですね。つまり、わたしの「クルクル」をつぶやくということなのでしょうかね?
 4月の終わりから5月にかけては、毎年、外国の友人たちが日本に来てくれて、久しぶりの再会を楽しむとき。今夜も。咳もだいぶ落ち着いてきたので、大丈夫かな。
 「火」が降ってくる時代、友情こそひとつの祝福かもしれません。


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