破急風光帖

 

★  日日行行(639)

2023.12.03

* 「夕闇の中、竹のあら垣を越えて、溝の中へとばらばらと落ちていくかすていら」・・・かつて論じたことのある樋口一葉の「にごりえ」、そのクライマックスの部分を、昨夜、新内の岡本宮之助師匠の語りで聞きました。

 日本橋のお江戸日本橋亭、今月に改装のために閉館とは知らなかったのですが、6月の表象文化論学会のイベントでもお会いした岡本流の会、駆けつけて聞きました。ほかに一葉の「十三夜」とか、「滝の白糸」など。表象文化論のかつての教え子でもあった高橋幸世さんの「ふるあめりか」も。なぜか師走の雰囲気にぴったりで。日本文化の根幹はやはり「語り」です。「語り」の深さ、それは「情」の深さ、「心」の底知れぬ闇です。わたし自身は、『存在のカタストロフィー』所収の「症候の発明」という拙論を思い返しながら、それに重ねて聞いていました。
 すると、ああ、多くのカタストロフィー、まさに存在のカタストロフィーに満ちていた(そしていまでもそれは続いている)この年も終わっていこうとしている・・・・帰路、日本橋の高層ビルの隙間から見える夜空を見上げても、もちろん星のひとつも見えはしない・・・いや、暗い気持ちになったわけではないのですが、わたし自身が書いてきたことも、あるいはただひたすら、災厄としての存在、その運命(アナンケ)のまわりをぐるぐるとまわってきたのだ、それしかしてこなかったのだ、となにか覚するものがありました。

 こうなれば、人里離れて山籠もりですかね?
 冬空晴れて遠い山並、わが災厄を美しく荘厳するとか・・・・・・!


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