破急風光帖

 

★ 日日行行 (54)

2016.08.26

 猛暑は続くけれど、空に浮かぶ雲はすでに秋の風情。しかし、今年の夏は厳しい。その厳しさに打ちのめされそうになってます。

 昨日は、本郷の東洋文化研究所で、GJS(国際総合日本学)プログラムのサマーセミナーで講義。海外から来た学生や東大のPEAKプログラムの学生たちに、英語で、日本の戦後文化を語りました。内容は、今春刊行した『オペラ戦後日本文化論』から、坂口安吾と大江健三郎、寺山修司を抜き出して、それぞれ「肉体」の「誕生」、「暴力(同一化幻想)」、「倒錯」の三つのステージを語ろうとしたもの。まあ、欲張りすぎなんですけどね。しかし、英語で2時間はつらい。はじめは、困ったら隣にいる中島さんに助けてもらうから、と言ってはじめるのですが、いつものように、喋り出すとそれでも止まらない。下手な英語だなあと思いつつ、口は動く。で、どこかうまく表現できない自分にフラストレーションがつのるという事態。いや、これで英語の授業は最後にしよう、と思いましたね。UTCPをはじめたことによって、50歳すぎてから「付け焼き刃」を自分に押しあてて、少しだけ喋れるようになった英語、65歳をすぎると(なにしろ年に1回しか使わないのだから)なかなか身体がついていきません。
 去年も、中島さんに頼まれて、高野山の蓮華定院というお寺で、空海の言語哲学について、海外から来た学生たちに語るという、おそろしいことをしてしまいました。「3日で理解した空海の言語哲学」みたいなものを、わが先輩・竹内信夫さんら空海学者の前で喋ったのだから、冷や汗ものですが、じつは、はじめての高野山の経験は、英語とはまったく関係のないところで、わたしの精神にとってはきわめて大きな「秘密」をもたらしました(密教ですからね)。
 今回は、みなさんとお弁当をいただいたあと、東京のフィールドワークということで、地下鉄銀座線(戦前にできた最初の地下鉄)を「軸」に見立てて、浅草、銀座、渋谷と学生たちとともに歩きました。最後は、渋谷の岡本太郎の「明日の神話」の前で、戦後文化がはらむカタストロフィーの予感を提示して終りました。
 そして、今日は、すでに締め切りが切迫している「日本戦後文化論」の第2オペラの原稿に取り組まなければなりません。でも、これが難しい。いつもそうなのですが、書けそうにもないのに、それでも書くという無謀。思い返せば、そんなことばかりやってきた人生でした。夏の終りとともにエネルギ−が落ち込むと、心もまた少し秋風。どこに流されていくのでしょう・・・


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