破急風光帖

 

★  日日行行(693)

2025.09.24 Permalink

(3*)
 ついに、秋!窓ガラスを通して突き刺さる秋の光!
 途端に、忘れていた女神の名が、忽然と、浮上する。
 NIKE! ニケよ! わたしはあなたの名を呼ぶ。希望の女神の名を呼ぶ。

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★  日日行行(692)

2025.09.15 Permalink

(3)
 Fureurーーこれをわたしは〈激怒〉と訳すのだが、これこそが、わが生へ、わたし自身が押し付け刻み込んだ〈紋章〉、いや、焼き入れた〈刺青〉であったろうか。
 「無限は耐え難い。真理は非人間的である。そして、それ故に、われわれはこの透明な秋の日のなかで、荒れ狂う〈激怒〉として立ち竦むことになるのだ。この〈激怒〉は他の人々に向かうものではない。(・・・)そうではなくて、われわれはただ無限のこの耐え難さ、時間の向こう側のあの大文字の〈他者〉の耐え難さに対してのみこの〈激怒〉を保持し続けるべきなのである」(「秋の光ーーあるいは聖なる〈激怒〉」 in 『光のオペラ』)

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★  日日行行(691)

2025.09.09 Permalink

(2)
 颱風が通過して厚い雨雲の塊が海の彼方に遠ざかっていくと、強い光が差し込んでくる。これは秋の光なのか、夏の残光なのか。わたしは〈秋のプラージュ〉plage d’automneにいるのか、まだそうではないのか。
 「横たわったまま手足をのびのびと伸ばし、軀を半分ほどもこのさらさらと乾いた砂のなかに沈め、空の遠くへと見やった眼差しが波打ち際のように寄せてくる白雲のなかにそのまま吸い込まれてしまうと、不意に、わたしには分かった。わたしがいるこの広大な砂原は〈秋〉なのだ、〈秋のプラージュ〉にわたしはいるのだ、と」(「秋の遺書」in 『思考の天球』)

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★  日日行行 (690)

2025.09.01 Permalink

(1)
すでに秋なのか、いまだ秋ではないのか。
 いつものことだが、夏の終わりという〈刻(とき)〉はわたしの心を突き刺す、あるいは切りさく。
 「そうして、夏の終わり、書き出せない原稿のことを考えながら、ぼくは無花果を買って帰るだろう。プラスティックの函に詰められて、黒紫色の大きな無花果が五つで五五〇円。柔らかな果肉を損なわないように、それをできるかぎり薄い刃で縦に切りさく。わが苦悩のように薄い刃ーーそう言っておこう。すると、その澄んだ赤紫色の果肉、その光の繊維ーーああ、ぼくはまるで〈神〉の存在を切りさいたかのように感じるのだ」(「無花果、夏の終わり」in 『思考の天球』)
 

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