★ 日日行行(592)
* 「声/泪 十選」(6) こちらは泪ではなく、たんなる過去の呼び出しかな?やはり男性オペラ歌手も取り上げたいと思ったら、そういえば、昔、新聞の記事のために「三大テノール」のコンサートを後楽園に聴きに行ったなあ。あのとき、自分はいったい何を書いたんだろう?と考えるのだけど、はっきりしない。その新聞を探したのですが、なにしろ50年の人生の書き散らしが未整理のまま山になっていてみつからない。でも、今朝、見つかったんです。で、それを思い出しておきたいだけ。
2000年前後に共同通信から依頼された「創造の岸辺へ」のシリーズです。演劇や美術展、コンサートと多様なアートについて毎月書かせてもらっていました。おもしろい企画だったなあ。で、そのひとつが「三大テノール」、カレーラス、ドミンゴ、パヴァロッティです。それぞれにコメントしつつ、やっぱりとどめはパヴァロッティで「そしてなんと言っても圧倒的なパヴァロッティ。まるでかれの体内に明るい大きな太陽があって、惜しみなく温かい生命の光がほとばしるように思われる」と書いていました。
でも、おもしろいのは、その前にドミンゴについて「月の光のような叙情」、カレーラスについては「大地がそそりあがるような悲劇的な誠実さ」と言っていることと関連するのか、「声」について次のように書いていました。これ、わたしの思考の原点かもね、とここに再録しておきます。
「声は不思議だ。個人の特異性に対応して、その性格、感情をはこぶのだが、この三歌手のようなスーパー級の声はさらに遠く、われわれの魂が太陽や月や大地と結びついているところにまでわれわれを連れ出してしまうのだ」・・・・「目の前に見える現にある身体から発してわれわれの魂のもっとも遠いところ、しかしもっともなつかしいところへと連れていってくれる声の神秘に立ち会うこと」・・・そうだよね、これを言うのがわたしだよね、まあ、誰も気がつかないのだけど・・・いいなあ、20年以上も前の自分に、わたしとしては「◯」をあげることができますね。