破急風光帖

 

★  日日行行(586)

2022.12.10

* 三宅一生さんに続いて、吉田喜重さんまで・・・!『日常非常、迷宮の時代1970-1995』の戦後文化オペラの第2弾で取り上げた、わたしの「先輩」あるいは「師」の方々が舞台から退場していきます。今年はさみしい年でした・・・ひとつの時代が終っていく、という感を強くします。

 吉田さんは2002年だったか、駒場で『鏡の女たち』の上映会をさせてもらいました。また、その後も中野の「ポレポレ」で行われた『美の美』の上映会でも、二度くらいだったか、コメンテーターをつとめたりしました。奥様の岡田茉莉子さんとともに食事をさせていただいたりもしました。かならずしも映画関係の仕事をしているわけではないのに、よくしていただきました。吉田さんはずっと小説を書こうとなさっていて、それが、『贖罪』となって2年前かな、出版されました。もちろん、送ってくださったのですが、その世界にわたしはなかなか入っていけず、ひとつのハードルとなっていました。その小説について、いつかお話しをうかがえたら・・・と思っていたのでしたが・・・「謎」が残りましたね。「戦争」ということが、わたしには、やはりよくわかっていないのではないか、という問いが残っています。吉田さんとわたしでは、その違いが決定的なのではないか、と。「戦後文化論」の根底にかかわる問題なのだと思います。
 12月の朝の光のなかで、喜重さんの静かな、なにかいつも遠くを視ているような眼差しを思い出します。その静かな語り口・・・その「身体」が戻ってきます。
 いつか書いたように、ショパンの「ソナタ変ロ短調」の第3楽章のトリオ(ポリーニ演奏)が低く流れる朝の光の空間に、ひとつの「微笑み」がゆっくりと通りすぎていく・・・じっとそれを見守る・・・Adieu、喜重さん・・・merci・・・・


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