破急風光帖

 

★  日日行行(580)

2022.11.26

* というわけで、「声/泪 十選」(1)
 日経新聞の「美の十選」は、やはり読者になにをお届けするか、を考えて書いていたわけですが、こちらはちがいます。一言で言えば、老人性感傷症シンドロームです。つまり、私語りです、そしてそうなれば、必然的に「過去」が戻ってくる、「声」とともに、「歌」とともに。

 高速道路を車で走りながらCDを聴きます。「旧石器時代」に属するわたしは、スマホで音楽を聴くことはなく、いまだにCDがメインです(なにしろ、LPレコードからはじまって、この短い人生にどれだけの音響メディアの転換を生きてきたことか!でも、わたしは「本とCDと映画館」の世代です。)で、先日、どこで買ったのかも思い出せないのですが、テノールのPietro BalloのCD「parole per te」(君への言葉)を聴いていました。そのまんなかに聞き覚えのある歌が。タイトルは「Mia piccola citta」(僕の小さな故郷)ですが、これがじつはもとは「川の流れのように」、日本の曲です。そうしたら、無性に、やはり美空ひばりの声で聴きたいなあ、と思ったわけです。家に帰って、戸棚の奥の古いCDの山を探してみると、あるんですね、山口百恵さんや加藤登紀子さんのCDなどとともに「美空ひばり コールデンベスト Vol. 2」がある。で、かけてみる。「・・・あ〜あ、川の流れのように・・・」、わたしは別に美空ひばりさんのファンだったことは一度もないのだけど、この声は覚えている。その声が、わたしの記憶のなかに刻まれている。そう、「いくつも時代はすぎて」・・・でも、流れているんですね。泪があふれました。いつの歌?と調べてみると、89年、ひばりさん最後の歌。この発表の後、52歳で亡くなったと。わたし、全然、そんなこと記憶していませんでした。彼女が52歳で亡くなったことも頭に入っていなかった。そんなに若かったの?彼女の死はわたしの記憶のなかに痕跡がないんです。でも、この歌は、この「あ〜あ、川の流れのように」は残っている。その声の明るい、やわらかな、それまでの美空ひばりのコブシを回す歌い方とはちがう、川の流れのように自然な響きの起伏を追って、わたしの心もいま、ともに流れていくことができる。(ほんとうに「地図もない曲がりくねった道」を歩いてきたなあ、と思いますね)

 (このように、最近、音楽に不意撃たれて「泪する」ことが多くなりました。そんな私的な、あまりに私的な「感傷シーン」十選してみたら・・・と思いついたのです。)


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