破急風光帖

 

★  日日行行(566)

2022.09.25

* 今朝は秋晴れ。こちらも昨日のNHK・Cool Japanの収録が終って一区切りという感じかな。テーマは「ととのえる」でした(11月6日放送だそうです)。わたしは、夏の終りに、三宅一生さんへの追悼の心で買ったIssey Miyakeの黒のジャケットをはじめて着て出演してみました。

 1週間前の日仏会館でのナンシーの国際シンポジウム。本ブログで予告したとおり、学術発表ではなく、89年のかれのランボー論と91年のわたしのランボー論とのあいだのクロス・オーヴァーの出来事を、いま!、発見するというパフォーマンス。わたし自身にはいろいろ発見があったのですが、一般の聴衆にはどうだったでしょうかね?シンポジウムの記録が本になるそうですが、わたしのは載せないでもいいですとは言ったのですが、そうもいかないというので、火曜日、一日かけて10頁くらいの原稿をあらためて書きおろしました。やはりパセティックなテクストなのですが、わたしとしては、ジャン=リュックとわたしが共有(あるいは分有)していたものをあらためて確認できた、やはり心からの「追悼」の儀礼となったような気がします。
 というわけで、これが老人ということなのか、自分の過去と向かい合うだけで精一杯、なかなか先へ、未来へと進む力が出てきません。もう一月以上も停滞している、書き下ろしの「存在論」、「ああ、もう秋か!」なんて言っていないで、集中して書きあげないといけないのですが・・・まだまだ前夜ですらなく、夜明けは遠いです。当分、「真理」は所有できそうにもありません。
 そのナンシー論、bordというフランス語一語に賭けたものだったのですが、ランボーが人生の最後に書き残した(そしてジャン=リュックがそれでみずからのランボー論を締めくくった)「à bord」(船上)という言葉を呟きながら、わたしも小さな「方舟」にでも自分を閉じこめないといけないかなあ・・・・


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