破急風光帖

 

★  日日行行(561)

2022.08.09

* 涙が止まりません。今日、少し前に飛び込んできた三宅一生さんの訃報・・・(この衝撃を受けて、このブログにふたたび言葉をアップしないわけにはいかなくなりました)。

 1994年6月8日、東京大学駒場キャンパスに三宅一生さんをお招きしました。講演会をお願いしたのに、なんとプロのモデルに、メイクの人まで連れてやって来た一生さん、東大の表象文化論のフランス、韓国、ポーランド、日本の院生たちとプロのモデル2名とで華麗なファッション・ショーをしてくださった。わたし、人生で、どのくらいの数のゲストをお招きして講演会を催したか、たぶん楽に300は超えていますが、こんな方は一生さんだけでしたね。一生さんは、わたしにとって、この人生で、ただひとり真剣に「追っかけ」た人です。そのわたしを、一生さんは真っ正面から受けとめてくださって、いまにいたるまで、三宅一生文化財団の理事として遇してくださった。なんという心の深さ、なんという真の意味での「礼」。ありがたいこと。一生さんは他人(ひと)を幸福にしてくれる人。そんな人、ほとんどいない!
 この6月8日の講演会について、わたしが書いたテクストがあって、その最後は以下のようでした。訃報を得て、この本(『大学は緑の眼をもつ』未来社)を取り出し、読み返しました。読みながら泣きました。涙が止まりませんーーー「わたしは長年の夢がかなったこともあり、また、縮重のテクニックを使った真っ赤な上着を着て特別モデルになったこともあり、ーーーあとで多くの人に言われたがーーーとても幸せそうだったという。考えてみれば、わたしだけにではなく、今日会場に来た人たちすべての人への途方もないプレゼントをイッセイさんはしてくれたのだと思う。それとは別に、わたしには素敵な湖水色のジレもプレゼントしてくれた。感謝深く。講演後にイッセイさんをまじえて10名ほどで食事。これまでも、また、これからもたくさんの講演会を組織するのだと思うが、そのなかでも間違いなく、その実現がもっとも嬉しい講演会なのは確かだろう」。
 いや、間違いなく、それから28年の時間が経って振り返っても、わたしにとっては、その実現がもっとも幸福であった講演会であった。
  もちろん、それ以外にも、たくさんの思い出が戻ってくる。人と人の出会いの神秘に、わたしはおののくような気持ちになる。     
  イッセイさん、ありがとう。いくつもの襞、いくつものプリーズ、いくつもの「ありがとう」。


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