破急風光帖

 

★  日日行行(541)

2022.03.27

* 昨日の「女性科学者の会」でのトークは、会長の跡見順子先生からの依頼で、中島さんとの共著『日本を解き放つ』(東京大学出版会)について話すことになっていたのですが、わたしとしては、やはり聴いてくださる相手のことを考えないわけにはいかない。特定のその相手になにを届けられるか、それが問題なわけですから、誰にも同じ話を同じようにするというのは、わたしの「態度」ではない。というわけで、考えたのですが、思い出したのが、かつて1998年に共著で刊行した『学問のすすめ』(筑摩書房)。そこでは、わたしは巻頭のエッセイだけではなく、いくつか対談もしているのですが、そのなかに、生命科学者の中村桂子先生と物理学者の米沢富美子先生との鼎談があった。となれば、この四半世紀前の卓越した女性科学者のそのときの「ことば」をお伝えするのが、わたしのミッションと思って、冒頭、その話をさせてもらいました。

 とりわけ、中村先生の「自分が含まれた世界が広がっていく感覚。それは、私にとって、いまいちばん喜びかもしれない。それが私にとっての学問で、それが私が最初に言った、モデルから自然へとという感覚と、私の中では合致しているのです」。すてきな言葉ですね。これを、現在の女性科学者のみなさんにお渡しできて、それが、わたしにとっては、勝手ながら、いちばん手ごたえがありました。
 このように、最近、なんとなく、わたし自身の90年代の仕事が戻ってきますね。いろいろな場面で。いや、90年代だけではなく、もっと昔の「時」も。そうそう、ミケル・バルセロにも、わたしが最初にパリに行ったときに、ルイス・ブニュエルの映画「欲望のあいまいな対象」にエキストラで出た話をして盛り上がりました(これは『光のオペラ』所収のテクストでしたね)。荒川修作さんとの対談への追憶もあり、「青の美術史」の回帰もあり・・・たぶん、人生のそういう「時」なのかもしれませんね。こういう回帰の時間がもてたことはありがたいことだ、としみじみ思います。


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