★ 日日行行(534)
* 「荒川さん、今日、わたしがここにいるのは、ただ一言でいいから、ふたたびあなたに語りかけてみるためでした。ただの一言。それによって、2005年5月31日以後、中断されたままの、あなたとの対話をただ「一息」だけ————「22世紀」というより「永遠」の方に向かって————延長すること。
「滅茶苦茶」を受けとめて、そこにわずかに、「一息」の新しいディメンションを付け加えること。それこそが「春」ではないか、とわたしは思うのです。」
昨日、京都芸術大学で開かれた、荒川修作/マドリン・ギンズに捧げられたシンポジウム初日の冒頭、物理学者の池上高志さんとふたりでオープニング・トークをしたのですが、そのとき読み上げたテクストの最後の部分です。
荒川修作とは合計7回の対談を行っていて、それは、『幽霊の真理』として2015年に水声社から本として刊行していただきました。その対話を「一息」だけ延長すること、それが、わたしが試みたことでした。荒川さんとの不思議な関係を、あらためて思い出すことができるチャンスをいただいて、わたしにはありがたかったです。一言では言えない思いが胸に去来しますね。荒川さん、ギンズさんのニューヨークのお住まいだって訪れたことがあるし、パリのナンテールで開かれた第1回の国際会議にも出席しているし・・・
前日から京都入りしましたが、一気に春めいた日和となって、午後の光のなか、鴨川や高瀬川の岸をぶらぶら歩きました。何種類もの鳥が川面に降り立ち、梅や早咲きの桜もちらほら咲いて、「春」の趣を京都で味わうことができてよかったです。
しかし、シンポジウムの日は3・11。そのカタストロフィーの記憶も、当然ながら、甦らせて、「滅茶苦茶な次元」のあり方に思いを馳せることで、なにか小さな「借り」をひとつ返せたかなあ、と自分では思っています。
カタストロフィーを通って、しかし来るべき「時間」を夢見る・・・I am non-here, I am non-nowと、たしか、池上さんとの対話の途中で言っているわたしがいました。