破急風光帖

 

★  日日行行(528)

2022.02.06

* 今日は、わたしの誕生日、72歳になりました。
  なぜか、いつもの年よりも思いが深いですね。前のブログに書いたように、黄色いフリージアを買ってきて、白い花瓶に投げ込んで机の上に飾っていますが、その向こうの西の空は、朝は淡青の空でしたが、いまでは、雲があって、その背後から光が指してきています。富士山は雲で見えません。
 

 今朝は、じつは、コロナ・ワクチン第3回目の接種でした。歩いて30分くらいのクリニックに行って接種してもらいました。明日にかけて副反応がどうでるか?ですが、今夜は祝杯をあげる予定はないので大丈夫。祝いということなら、昨夜、娘の誕生日祝いに便乗して、祝ってもらいましたので(娘とは誕生日が1日違いなのです)。それもあって、接種を今日にしたのでした。
 このウィルスやワクチンというテーマに顕著に現れていますが、まさに「生成変化する」(変異とはそういうことにほかなりません)情報的マトリックスに対して、どのような存在論的思考を対置することが可能か、そこに、いまの時代の哲学への緊急の問いかけがあるように思います。「意味」なるものが、少しずつ、終っていくinformatismeの時代ということになるのか。
 誕生日というのも、情報なんでしょうか?それとも「意味」なのか?「祝う」ことによって「意味」が生まれるのか?わかりませんねえ・・・そう言えば、いま、書こうとしているテクストの冒頭は(お正月に書いたものでしたが)「わからない、まったくわからない」でした。
 この響き、好きですね。わからない、・・・ほんとまったくわからない。72歳にもなって、なにひとつわからない・・・と、嘆くというのではなくて、微笑む・・・わからないだろうなあ?
 


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