破急風光帖

 

★  日日行行(517)

2021.12.14

* 前のブログに、今年2021年は、わたしの20歳代が回帰してきた年だと言いました。その続きですが、それは、やっぱり今年のはじめ(2月)に、日本経済新聞のコラム「こころの玉手箱」でわたしが23歳のときに描いた油絵を公開してしまったときからはじまったのだ、と思いました。

 4回連載の毎回1枚写真をアレンジするという仕掛けに応えて、「玉手箱」なんだからと、なにか自分でもびっくりするようなものを取り出そうと、膨大なノート、自作の唐津と楽焼きの茶碗、八ヶ岳の小屋などと並んで、冒頭に、人生でたった2枚描いた油絵のひとつを公開したのでした。
 絵画について書くことをはじめていたので、一度も自分で絵を描いたこともなくて絵を論じるのはいかがなものか、と自問自答して、わざわざ絵の具を買って描いてみたわけです。当然、誰かの真似をするだけなので、1枚目はモジリアニ風の女性、2枚目はジャコメッティ風の人物(その後、3枚目をブラックのキュビズム的静物にしようとしたのですが、途中で放り出してしまい、以後一度も絵筆は握らず)。その2枚目の方を、なんと全国紙の新聞に載せたわけです。無謀ですね。そしてわたしは書いていました、「そこに描かれた「少年」は、誰だったのか。もちろん、わたし以外ではありえない。自画像?いや、それは、いまだに、わたしにやって来ようとしている、わたしの知らない「わたし」ではなかったか。風のなかの、緑の光のなかの少年。時は流れ、わたしは数日前に71歳になった。頭髪は抜け、髭は白く、すでに浦島太郎である。だが、同時に、わたしはいまだに、この「風のなかの少年」でもある、そう感じる」と。
 そうか、以来、この「風のなかの少年」が回帰してきたというわけか!と年末になって、勝手に納得するわけでした。
  その絵の「少年」をもう一度、ここに掲げておこうかな?風のなかに戻してあげなければ・・・

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