破急風光帖

 

★  日日行行(516)

2021.12.13

* 先週金曜の東大EMPの講義が終って、年内の講演講義などの「出演」系の仕事が終ったせいか、(校正作業も終ったし)、いつもの年より早く、この年が終るなあ、という感覚が湧いてきます。静かで、(矛盾していますが)かつ激しく、奇妙な年でした。

 先週の土曜は、両国のシアターχ(カイ)に、先月に続いて、勅使川原三郎さんのダンス「ガドルフの百合」を観に行きました。宮沢賢治のテクストで踊るというダンスを観たかったのです。先月の舞台で感じたなにかを確かめるという目的もありました。すてきな、いい舞台でした。雷鳴が轟いて、雷光が差し込み・・・「恋」の讃歌だったのかもしれませんが・・・不思議ですね、ダンスを見るってどういうことなんでしょう・・・やはりそれを見る「わたし」もいっしょに踊っているんでしょうか?そうして「生きる」ことが「ダンスをする」ことであることを、何度も何度もそのたびごとに、学ぶのでしょうか?けっして終りのない「学び」、なにも学ばない学び・・・いいですね、そのように。

 雲ひとつない冬の青空・・・そこから出発して、週末、水声社のネット版の「コメット通信」にロラン・バルトについての短いエッセイを書きました(年末刊行かな?)修士論文を含めて、わたしの70年代が回帰してきたこの2021年。最後はやはり、紛れもないその出発点/原点であったロラン・バルトであったか、とちょっと心揺さぶられました。まだいろいろ残っているものはあるとはいえ、これで、わたしの20世紀にはだいたいケリをつけたと言えるのかもしれません。で、わたしの21世紀は?・・・カオスですねえ。ということは、「現在」ですねえ。カオスじゃない現在なんてつまらないもの!
 昨年11月にオン・ラインでやった刺激的なシンポジウム「地球システムとパンデミックーー人類はそこに何を読み取るべきか」の記録が地球システム・倫理学会の会報(No.16)に掲載され、その会報が届きました。このとき、わたしは、なんと話の最後を松尾芭蕉の俳句で締めくくったのでしたが、あのときのアイデア、まだテクストにしていませんね。「パンデミックと地球」の話の最後に、「山路来てなにやらゆかしすみれ草」が降ってきたのがわたしにはおもしろかったのですが・・・寒風吹きすさぶ野ざらし紀行・・・それもまたわが道かな?(「あやめあやめ」というお囃子が聞えてきますが・・・)。


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