破急風光帖

 

★  日日行行(510)

2021.11.17

* 京都・西本願寺とはうってかわって、昨日は、多摩美術大学へ。マルセル・デュシャンについての講演をしました。親鸞さんからデュシャンへ、わたしの思考の道行きもなかなか曲折に富んでいます。こういうの好きですね。でも、デュシャンは、いくつもある、わたしのこの人生の知的刺激の「軸糸」のなかでも、もっとも古くからの一本。対面遠隔のハイブリッド形式でしたが、半世紀にわたる時間を貫いて、わたしにとってのデュシャンがどういうものであったか、時代背景も含めてお話しさせていただきました。

 なにしろ、東大駒場の大ガラス・レプリカ作成の方針を決めるために、瀧口修造さんのお宅を訪問したこととか、ポンピドゥーセンター開設の折に、初代館長のフルテンさんに会って日本からのポスターを届けたこととか、デュシャン未亡人のティニー夫人に招かれてパリ郊外のお宅にうかがったときの衝撃とか、最後は、駒場の大ガラスの前で、美しい裸体の女性となった森村泰昌さんとチェスをしているデュシャン自身にわたしが「なった」ことなど、驚きのエピソ−ドも散りばめて、まあ、老人の昔話という趣もないことはないが、20世紀の文化にとってのデュシャンの意味を語ったということになる、(な〜んちゃって!)。
 なんであれ、このように自分の人生にとって大きな意味があった存在について、回顧的にしろ、あらためて若い人たちの前で語れることは、喜びですね。岩佐鉄男さんとわたしが訳したデュシャンの対談集(『デュシャンは語る』、ちくま学芸文庫)のなかのデュシャンの言葉ではありませんが、「幸運でした」と言ってみましょうか。昨日、多摩美に行く電車のなかで、ほんと何十年ぶりで、弱冠28歳のときに刊行したこの訳書を読んでいて、対談のときデュシャンは80歳に近かった(死の2年前かな?)のですが、若いときには感じなかったある種の「共感」を、とっても何気ない言葉に感じました。おっと、気をつけないと、涙が出るぞ、みたいな・・・

 前日の月曜夜は、ある方のお招きで、荻窪に行って、勅使川原三郎さんのダンス「Adagio」を観てきました。わたしも踊ったことのあるマーラーのあのAdagioほか、Adagioばかり、それを佐東利穂子さんとふたりで交互に踊る1時間。美しかったのですが、少し苦しくもありました。いろいろなことを考えました。翌日のデュシャンにつなげるとしたら、「存在」という言葉かなあ? デュシャンはその対談のなかで、「わたしは存在ということを信じない」という不思議な言葉を残しています。
存在、それは、きっと信じるべきものではなく、ただ存在がダンスするようにみずからを開くことだけなのかもしれません・・・


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