★ 日日行行(485)
* 今朝、突然、フランス語のフレーズが回帰してきました。apprendre à vivre enfin というもの、じつは、わが師のひとりでもあった哲学者ジャック・デリダが2004年に亡くなる一月前に残した対談のタイトルでもあって、日本では鵜飼哲さんの訳で『生きることを学ぶ、終に』(みすず書房)として刊行されています。このフレーズについてのわたしの複雑な思い(というか思考)は、拙著『存在のカタストロフィー』(未来社)の冒頭で展開されています。
が、それが突然、戻ってきたのは、8月31日に代麻理子さんの「未来に残したい授業」youttubeで行った「9月1日の君へ」の講義について、何人かの友人たちから「感動しました」とメッセージをいただいたからです。朝、起きて、そのことを考えていて、そうか、わたしは「ついに、生きることを教える」ことをしたのかもしれないなあ、と物思いにふけったのです。
apprendreという動詞は、「学ぶ」と「教える」という二つの意味があって、デリダも対談の冒頭でそのことを強調していたのでしたが、そうか、わたしは、まだ自分が生きることを学び続けているのにenfinついに!生きることを教えて」しまったのかもしれない、と。わたしはデリダのように「生き残る」という道ではなく、「死に残る」ことがないように「生きる」ことをapprendreしたいのかもしれないなあ、とか。
論理的な解というのではなくて、自分が、ちがった仕方で、また同じ「問い」の場所にいるという実感というかな?こういうふうに戻ってくるなにか。それが鍵なんですね。
午後は、六本木のギャラリーShugoArtsに、小林正人さんの展覧会を見に行きました。「この星の家族」ーーーキャンバス、絵の具、枠・・・絵画の物質性、それが(デリダ的に言えば)ディコンストラクションされて、そこにそれでもイマージュが浮かびあがる・・・生々しい、しかしどこか聖なるエロスかな?そこにも「生きる」vivreがありますね。Vivreへの祝福。そのように・・・