破急風光帖

 

★  日日行行(483)

2021.09.07

* September Stepsの最初の山を越えたかな?先週3日金曜4日土曜と続いて、東大本郷でいつものEMPの講義。どちらも出かけて行って行いました。土曜の講義は、「人間」についての総合討論でいつものように数理、経済、脳科学の先生方との討論。今回はわたしがマトリックスをつくって、「わたし」と「わたしたち」とのあいだの構造についての討論。

 問題の深さに時間が足りないという感じが強かったのですが、終って、わたしはそのまま早稲田へ。大学ではなく、2015年メキシコの国際空港で突然、亡くなった舞踏家の室伏鴻さんのアーカイブがあるカフェ・Shyへ。そこで「真夜中のニジンスキー」という室伏さんが生前計画していたプログラムの名を冠した一連のトーク・シリーズ、表象文化論の学生でもあった高山花子さんとダイアローグでした。
 しかしながら、対話とはいえ、わたしは、どうしても、人生で一度交差して挨拶をかわしただけのこの舞踏家に、同時代の「ひとりの友人」(けっして会わなかった、しかしどちらも「彼」が時代の同じ斜面の上を歩いていることを知っていた「(遠い)友人」としてのオマージュというか、祈りというか、それを語らないわけにはいきませんでした。なにしろ、かれは、わたしの処女作でもある『無の透視法』、『不可能なものへの権利』の二冊を赤線をひきながら、徹底的に読んでくれていたのです。その本を手にとらせてもらって、わたしは、ほとんど泣きましたね。わたしの本が、このように読まれたのだ!よかった。そう、「無」、「不可能」、室伏さんの場合は、それが「死」、「外」となるわけですが、そのような合言葉(シボレート)を共有する「友人」だったよね、一度も場を同じにしたことはなかったのに・・・遅れてきた友情、いつも遅れる友情・・・この対話はこの「真夜中のニジンスキー」のサイトにアップされることになっています。
 https://ko-murobushi.com/midnight/jp/ 

 


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