★ 日日行行(466)
2021.07.09
* 読書(3)。ということになれば、次はドイツ語かしら?でも、ドイツ語はついにものになりませんでしたね。学生時代に学習院のドイツ語夏期講習に行ったり、40代では、なにしろヴァルター・ベンヤミンに入れあげていたので、東大駒場のドイツ人同僚に頼んで、そのテクストを、2、3テープに吹き込んでもらって、毎日聞いて学ぼうとしたのでしたが、だめでした。
なので、今年の前半、なによりも読んでいたのが、実は、リルケの「ドゥイノの悲歌」の、ドイツ語原書ではなく、独仏語版でした。昔にパリで買ったものですが、Rilke 'Elégies duinésiennes', Imprimerie Nationale, 1996.です。もちろん、邦訳も、手塚富雄訳やら、古井由吉訳やら取り揃えて読んでました。
わが心としては、この10の悲歌に「対抗して」、ライナー=マリアに向けて、わたしなりの10の悲歌を書いてみようとしたのです。第1の悲歌はできたのですが、その次が、もう何ヶ月もストップしたまま。
この「悲歌」については、40代のときに「大地論序説」のなかで論じたことがあるのですが、今回、それとはちがったパースペクティヴを展開できるかな、と。でも、わたしごときでは、とても太刀打ちできない・・・せいぜい「薔薇、おお、純粋な矛盾」(かれの墓碑銘の冒頭ですが)と書かれた陶片のまわりに、いくつもの薔薇の花びらを撒き散らすだけ・・・・謎ですね?はい、「謎、それは自己」(L'énigme c'est soi)(パスカル・キニャール)という看板がかかった青い円の庭のなかの話です。