破急風光帖

 

★  日日行行(430)

2021.03.11

* 10年目の3・11です。空は晴れて春の気配に満ちています。向かいのおうちの庭の辛夷も白い花をいっぱいつけて。遠く霞の奥にかろうじて富士山の輪郭が見てとれます。9・11に3・11、どうもわたしの世代は「11」の響きが災厄の記憶とリンクしているようです。ぼんやりとあの日のことを思い出しますね。

 地震発生の瞬間は、神保町の如水会館の控え室にいました。ある財団のセレモニーに出席するため。そのすぐ近くを高速道路が通っていて、突然襲ってきた揺れに、外のすぐそばの道路標識がまるで子どもが遊んでふりまわしているかのように揺れているのを茫然と見詰めていました。ひどい揺れだったけれど、不思議に怖かった記憶はないですね。その後、3時からちゃんとセレモニーは行われ、次の大きな余震が来たときは、ちょうどわたしがスピーチをしていたとき。ホールのシャンデリアが大きく揺れましたが、しばらくスピーチは中断して、すぐにまた喋りだしたのを覚えています。
 その日の夜、パリ行きの飛行機に乗る予定でしたので、電車は全部とまっているし、交通は動かないので、仕方なく、キャリーを引きずりながら歩いて上野駅に行きました。京成電車で成田へ、というつもりだったのです。ですが、上野駅でいくら待っても電車はうごかない。これはだめだ、と。結局、たしか御徒町あたりの喫茶店でなにか食べて、それから四谷まで歩きました。都内の知り合いということで、友人のリュシール・レイボーズさんのお宅にころがりこんだのでした。一晩、泊めていただいて、翌日、エールフランスは飛びそうだというので、なんとか成田に行こう、と。タクシーを手配して、直接に成田へ。高速道路はつかえず、数時間かかったか、たしか料金も3万5千円くらいだったと思いますが、夕方に成田に着きました。長い時間行列してなんとか席を確保できた。
 エアバスの大きな機体の、2階席の先頭部分だったのですが、11時頃飛び立ったとき、まっくらな夜のあの彼方、あそこに福島原発がある、と心つぶれるような思いで見やったときの心を思い出します。俺は、こうして放射能がふってくるこの土地から離脱しようとしている、しかしいったいこの国はどうなるのか?この人々は?レンヌでまさに「歴史の終り」について講演することになっていて、そのための出発だったのですが・・・不安と後ろめたさと・・・たぶんわたしの人生のなかでも、あれほど名状し難い「混乱」の心の夜はなかったと思います。
 あれから10年!記憶もまた津波のように襲ってきますね。
今日3月11日、朝起きてデスクにすわった途端に届いたそのときの一瞬の「心」をここにノオトしておきます。
 


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