破急風光帖

 

★  日日行行(427)

2021.02.28

* 半月あいてしまいました。すでに月末。梅の花が咲き、緊急事態は続いていても、すっかり春の気配が漂っています。この間、いったいわたしはなにをしていたのか。昨日の東大EMPの総合討論とNHKの「Cool Japan」の収録(テーマは「新入生」4月11日の放送だと思います)が終って、ようやく2月を乗り切ったなあ、という感覚があるのですが、果してなにをやっていたのか。

 いろいろなことがありましたが、なんだか若いときのように手当たり次第に本を読んでいたという感じもある。ふと昔好きだった石川淳の小説を読んでみたり、フランスの詩を読んでみたり(次のブログにその関係のことを書きます)、かと思うと数学や生物学の本を読んだり、でも同時に、昔自分が書いたものも読み返したりもしました。昨日の東大の討論でついにちらっと触れた2000年の「祈りのコロナ」の論文とか、でも極めつけは、コピーさせてもらったわたしの修論かな?先日、とうとう読んでみました。「存在の冒険」というタイトルのボードレール論。1975年25歳のときのテクスト。すっかり忘れていたので、ちょっと驚きましたね。まったくいまと同じだったんですね。しかし、その後、何十本という修論を審査してきた眼で読むと・・・よく阿部良雄先生はこれを通してくれたなあ、と。なにしろ、世界的なボードレール研究者の阿部先生の指導下にありながら、阿部先生の論文はおろか、いかなる先行研究も引用していないのですから・・・わたし審査員だったら相当、厳しく言わないではおかないなあ、とも思いました。はじめにハイデガーがエピグラフとして引用されているのですが、あとは全部、自分の言葉。わたしはボードレールという詩人の「存在」をこう読むのだ!と展開しているだけ。ボードレールという歴史的人物には興味なし。詩とは「存在の冒険』以外のものではない、ということを、ボードレールを通して主張している論。あきれますね。でも、同時に、間違いなく、わたしのマニフェストですね。つまり(これはブルトンですが)「わたしは誰?:qui suis-je?ですね。その問いが竜巻のように吹き荒れていたこの半月だったかしら?


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