破急風光帖

 

★  日日行行(425)

2021.02.09

* En vrac ーーーフランス語で「乱雑に」、「デタラメに」、「ばらばらに」という意味の言葉ですが、昨日は、たまたまなのですが、本棚の1冊『En vrac』に手が伸びました。ピエール・ルヴェルディのFlammarion版全集の1冊、全集をもっているわけではなくて、わたしがパリの書店で、十数年前に買ったものですね。

 ボードレール、ランボー、マラルメ、ロートレアモンも加えるべきかな、と19世紀のパリの詩人たちを若い頃読んできて、ボードレールで修論、マラルメは(すでに語ったように)論文挫折、そしてランボーについては90年代に『新潮』に書かせてもらって(『光のオペラ』所収)、一応ケリをつけて、そのまま20世紀の詩人というと、わたしにとっては、『ナジャ』のアンドレ・ブルトンが圧倒的だったのですが、そのブルトンについては、50歳を超えて、『表象の光学』を刊行するときに、書き下ろしで「ナジャ論」を書いて、とりあえずのケリをつけたのでした。
 ルネ・シャールはずっと関心をもちながら、なぜか、どうしてもわたしのフランス語力では太刀打ちできないとあきらめました(マラルメと同じようなケースですね)、でも、もうひとりルヴェルディが残っていて、かれは、ずっとわたしの隠れた関心の対象でした。
 あれほど激しくシュールレアリスムの時代のアートを生きていたのに、40歳前後にカトリックに帰依して(といっても、また離れるのではありますが)、世俗をいっさい捨てて南仏で簡素なほとんど世捨て人の生活を送った詩人。かれがその頃から書いていたノオトが「En vrac」なのです。
 ルヴェルディは70歳で亡くなっています。わたしはいま71歳。でも同じように、発表することのない「En vrac」の断片、屑、ノオトを書き連ねてきました。
 じつは、今日の日本経済新聞夕刊のテクストは、そのノオトについてです。
 というわけで、ずっと「En vrac」を拾い読みしています。
屑の光ですね。屑にも、いや、屑だからこそ、差す光がある、と。Oui, Poésie.


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