破急風光帖

 

★  日日行行(414)

2021.01.13

* 「ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使が/はるかなる高見からそれを聞こうぞ?」というのが「ドゥイノの悲歌」の冒頭(手塚富雄訳)。でも、前回、わたしはそれを主客転倒、天使が叫んでいるようにしました。それが、わたしのポジションかな。

 リルケの本文の「わたし」についても、かつて30年近く前ですが、これを単純にリルケ本人だと考えるわけにはいかない、とわたしは論じていました(「大地論序説」)。この年のはじめの1週間は、これまでの自分の仕事を少し見直して、いったいなにがまだ為されていないか、を考えたのですが、やはり2000年頃の論文「祈りのコロナ」の続きをどうしても書かなければ、という思いと、
もうひとつ、1990年すぎの奇妙な「海の真理 言語物質論」を再開しなければならないという思いが強くなりました。最初の仕事は、やり残した論、まあ、わたしの存在論哲学ですね。もうひとつは「詩」ということ。そして、ほぼ同時期に、ランボー論とこの大地論序説でリルケ/ツェラン論を書いたのでしたが、その詩への思いを、いまこそ、正面から受けとめなければならないという気持ちがわきあがってきました。
 この1年、この二つの仕事の再開を、自分に対して約束しよう、と。
しかし、それにしても、こういう「心」というか、「精神」というか、たんなる「傾向」というか、
それは、どんなに時間が経っても変わらないなあ、ということを思いますね。その意味では、理系の研究とはちがって、人文系の本質というのは、自分自身の「存在の冒険」にほかならないとつくづく思いますね。「研究」というのではない。やはり、ある種のARTなんですよね。「芸」でも「術」でもなく、それを「詩」とわたしは呼んでいるだけで、別にいまさら、詩作品を書いて詩集を刊行しようなどとは思いませんね。(「屑」を集めた、「屑の光」は出したいけど!)

 午後、いつものように散歩していて、なぜか、「今日が今年の春の最初の日」だな、と思いました。光が春を告げていました。もちろん、ほんとうの春はもっとあと。でも、今日の光には、その最初の切っ先が輝いていました。毎年、1月にどこかで、それを感じます。2021年は今日でした。
強いていえば、水仙の葉の先端のような光かなあ・・・

 


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