★ 日日行行(413)
* 新年になって1週間。世界の混乱は一層激化しています。日本の緊急事態宣言の再発出もそうですが、香港・中国の事態、さらにはアメリカ合衆国の事態、等々、世界じゅうでますます混乱が深まり、絶望が蔓延する事態、どうなっていくのだろう、と暗い気持ちになります。
東日本大震災のカタストロフィーを受けて、しかしそこにひとつの「希望」を語るべく、自分なりの無力なオデュッセイアの記録をまとめた『存在のカタストロフィー』(未来社)の刊行から、はや8年以上が過ぎて、またしても今度は別の種類のカタストロフィー! あのとき、わたしは、わたしの「クリティークの天使」であるベンヤミンの言葉「空虚を断じて譲らない」を、その巻末に、小さな燈台のように掲げてみたのでしたが、いま、どんな言葉が発せられるべきのか。なんであれ、言葉を(もちろんある仕方でですが)発することをミッションに生きてきたわけなのだから、たとえそれを公開する場がないとしても、ブリコラージュ的な手仕事として続けなければならない。
そんなことを思いつつ、昨年、ありがたいことに、「煉獄のフランス現代哲学」上下2巻(水声社)を刊行できたのだから、そこでいったんわたしの「過去」は棚上げにして、なにか新しい「思考」を「発出」しなければならない、と毎朝、ブルーのノオトをひろげています。
といって、言葉はそう簡単には、降りてこない。
今朝は、なぜかリルケの『ドゥイノの悲歌』が思い出されて、「悲歌(エレジー)、さりながら祝福」という矛盾したフレーズが浮かびましたが、これは指示記号にすぎません。そしてリルケの一節ですが、「天使が叫んだとして」という言葉が思い出されたのでしたが・・・それをいったい誰が聞くのだろう・・・
現実がこうなのですから、言葉もまた、カオスを引き込まなければなりません。そしてそのカオスの響きそのものを、いささか「光」へと変えるのでなければなりません。アルケミスト?たぶん。いつか、このカオスの1年を生きのびるリズムが生まれるといいのですが・・・・