破急風光帖

 

★  日日行行(411)

2020.12.31

* (で続きです)
 今年8月末に中島さんが声をかけてくださって対談をしたのですが、その主題は、わたしがどのように幼年時代から現在に至ったかというその道のりでした。そんなこと訊かれるとは思っていなかったので、びっくりでした。その記録は、近く東大の藝文書院から小冊子で刊行されると思いますが、
そのとき、わたし自身は、自分の修士論文のタイトルであった「存在の冒険」という言葉が結局、わたしの人生の格律であったと納得したのでした。
 24歳のときに書いたボードレールの散文詩についての修士論文。いまから思えば、よくもこんなタイトルをつけたものだ、と思うのですが、ボードレールがどうかということではなく、わたし自身にとってその言葉にある種の「約束」があったのだ、となんだか納得しました。
 (この修論、1年前の青学の研究室には確実にあったのですが、その本を整理するときに、まちがって処分してしまったようで、別冊の註とレジュメは残っていますが、本体はどうしても見つかりません。まあ、それはいいのですが。)
 その言葉が40年以上もたっていま回帰してくるという感じですね。つまり、存在(意識でも自我でもなく)とは冒険である、ということをあらためて生きようとしなければならないのではないか、と思うということですね。
 それがいったいなにを意味するか、ということは、ある意味で秘密ですね。つまり、それは、かならずしも、この社会のなかで一般的に認められる「功績」(メリット)となりうるものであるとは限らない。いや、むしろけっしてそういうものではないということが重要です。別の言葉で言えば、他者からの、社会からの「承認」をもとめる方向ではなく、それを断念する、いや、それに無関心になるところにおいてしか、見えてこないものにおいて「冒険」するということかな。
 ともかく、このまま少しずつ、これまでの自分を保ったままで衰えていく方向に行きたくないということを、新しい年がはじまるこの瞬間に、(自分に対して)宣言しておこう、というわけでした。
(でも、いったいなにをするか、いくつか予定はあるけれど、ある意味では、まったくの白紙ですね。そこにどんな絵を描くのか・・・あと30分で新年です。)

 みなさん、よいお年を。
 


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