破急風光帖

 

★  日日行行(387)

2020.08.27

* 本ブログ、ちょっと〈夏休み〉に入ってましたね。特別な理由があったわけではないのですが、少し間があくと、書くためのわずかなテンションがあがらない。微妙ですね、書くということは。こんなブログの文章でも。いや、何を書かなければならない、ということがない分、かえってノリが来ないと書けません。(と言い訳を書いてます)。

 この間のメインの仕事は、水声社から出していただく本『《人間》への過激な問いかけ 煉獄のフランス現代哲学(上)』のゲラ校正でした。書きおろしではなく、さまざまな過去のテクストの集積でもあるので、ぎりぎりで思いかけないテクストがみつかって、それを急遽、押し込んだりとか、いろいろアクシデントがありまして。でも、一応、バルトーフーコーーリオタールを中心とする上巻は整ったと思います。次はデリダを中心とする下巻です。
 ある意味では、わたしの「過去」にひとつの区切りをつけようとしているので、これは、ほかの次元においてもそうですね。フーコー、リオタール、デリダ、とわたしにとっての先生である人たちの追悼文などもたくさん書いてきましたが、かれらが幽明境を異にしたのは、フーコーが50歳代で早いですが、みんな70歳代。わたし自身も十分その圏内に突入しているわけですから、それでもなお、だからこそ、わたしとしては、もうひとつの「存在の冒険」(修論のタイトルでした!)を試みなければならないのではないか、と思ったりもする。このブログだって、そろそろ区切りをつけなければならないでしょう、とも。で、どうするのか、まさかTwitterに移行することはないと思うので。そのように物思う夏の夜の闇だったかな。
 まあ、今朝の心境としては、毎度ながら「洞山録」の一句「門を出ずればすなわち是れ草」にちなんで、草をむしり、草を踏みしだいて、歩いて行きますか!というところかな。花も紅葉もなかりけり、秋の夕暮に向かって、とぼとぼと? いや、多少はダンスのステップもいれて、わたしらしく・・・


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