破急風光帖

 

★  日日行行(386)

2020.08.08

* 「日常非常」が続きます。この「事態」に対してはまさに「態度」が大事。「事態態度」です。その秘鍵のひとつが「意味」をもとめないこと。Don't understand. わが生すらも。するとその「態度」がある種の「礼」となる。「儀礼」ですね。Ceremony----わたしだけの、でも世界のための。

 で、このところ毎朝、わたしだけの非常の茶事というか、独り一椀の点前を実践しています。友人からおいしい抹茶をいただいたことが契機だったのですが、毎朝、自宅居間の床に座って、テラスの上の空を眺めて、それを「軸ー花」と見なして一椀をいただくのです。
 唐津の茶碗、楽茶碗など毎回茶碗を替えて。ところが、なんと、この茶碗、わたしの手製なんです。2004年くらいから10年間、茶のアーティストの友人たちと国内外でたくさん茶会をしました。その合間に、とても著名な京都の楽、あるいは唐津の陶芸家のもとに友人たちと出かけて茶碗をこねさせてもらったのです。わたしが土を捏ねて形をつくると、あとはその超プロの方々が釉薬をかけて、焼いてくれる。ですから出来は、形はちょっと不具合があっても、素晴らしい。形のムラは、わたしの存在そのものだから、いいんです。それで毎日、茶をいただく。なんて贅沢なんだろう、と思います。
 これは秘密なのですが、茶をいただくときに、わたしはマントラを唱えます。そのマントラ、じつは、東大の1年生にフランス語を教えていたときに、「君たち毎朝このヤスオ・マントラを唱えろ」と言って覚えさせていたマントラです。
 じつはフランス語の男性形女性形という厄介なものを意識させるためのマントラだったのですが、それを公開すると、Le monde est beau; je souris, la vie est belle; je souris, je suis beau(belle); je souris(世界は美しい、わたしは微笑む。生は美しい、わたしは微笑む、わたしは美しい、わたしは微笑む)です。これを、わたしは勝手に「微笑法門」と名づけていますけれど、微笑みこそ、人間にとっての「究極の態度」ですね。
 彌勒菩薩の法門かしら?
(でもこの先にいつか、La mort est aussi belle; je souris(死もまた美しい、わたしは微笑む)なんて第4句を加えて唱えるときが来るのかもしれませんね、でも、いまは封印しておきます。フフッ)


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