破急風光帖

 

★  日日行行(370)

2020.06.29

* 本来なら今日は、パリにいるはずでした。コレージュ・ド・フランスとユネスコを舞台に「悪」をめぐる哲学の国際シンポジウムが開かれる予定になっていて、中島さんらとともにわたしも参加するはずだった。でも当然ながら延期。シンポジウムのほうはまた別の機会もあるでしょうけど、パリの夏の光はいまや「遠い夢」。

 でも、わたしはパリに行くぞ、と今日の午後行ってきました。
 はい、映画です。ウッディ・アレン監督の「ミッドナイト・イン・パリ」。
 恵比寿のガーデンプレイスの映画館でやっていたので。パリだというだけで行ったので、新作かと思っていたら、途中で、なんだ昔見たぞと思い出したのですが、こちらはストーリーはどうでもいいので、ただただパリの風景が見たいだけ。だから冒頭のいくつものスライド風景からじーんと来てしまいます。なにしろ、コロナによっていま封印されようとしている文化こそ、19世紀後半のパリからはじまる「密」の文化だと日頃、言っているわけですから。パリこそ、三密濃密文化のキャピタルです。それに対する愛惜の気持ちがやはり湧き上がってくるんですね。
 で、すべてのシーンがわたしに語りかけてきます。すべてわたしの記憶のなかにもある。主人公が泊まっているホテルは、1992年日本経済新聞の招きで泊まったことのある超高級ホテル「ブリストル」でしたし、今年2月にも行ったロダン美術館やセーヌ河岸のシェイクスピア・カンパニーも登場します。どの街路も橋も坂道も全部知っている風景ばかり。フロールやリップという、2月にも行ったおなじみの店の名前も出てくるし、ついには、77年にわたしがパリにはじめて行ったときに(エキストラとして)出演した映画の監督ルイス・ブニュエルも登場するのです!ヘミングウェイやフィッツジェラルドといった「パリのアメリカ人」たちには、わたしはそれほどなじみはありませんが、出てくる名前は全部、わたしの「パリ幻想」にも共通する名前ばかりなのです。
 ああ、パリのこのブルジョワジー文化こそ、いま、21世紀、ほんとうに終っていこうとしているのだ、と思わないわけにはいかない。だから、笑えるストーリーなので笑うのですが、なんでもないパリの風景にやっぱり目が潤む。なんだか、わたしの追憶のための映画であるかのように思えてきますね。(そう、ノートル・ダムの大聖堂がちらと映るだけで、心が揺れますからね)。
 ついでに言えば、ストーリーのほうの仕掛けの中心は、時間を超えた「出会い」なのですが、どんな出会いも、それがオーセンティックなものなら、時間錯誤ですよねと呟きますね、わたしは。
 映画の魔法ですね。でも、われわれはみんな根源的にシネマトグラフィックなんですね。
 今度パリに行ったら、古い黄色いプジョーは止まってくれないにしても、きっと雨が降ってくると思います。
 


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