破急風光帖

 

★  日日行行(371)

2020.06.30

* フランス文学をやっている人間なら書棚には、かならずガリマール版の小さなPoésie(詩)のシリーズの何冊かがあるはずで、わたしも十数冊以上あるのですが、先日そこから抜いて手にとったのがPierre Reverdy 'Sources du vent'.(風のみなもと)。なぜかわからないけど、ルヴェルディの詩に思いが残っているという感じがします。友人の野村喜和夫さんも最近、ルネ・シャールの詩を翻訳した本を出しましたし、吉本素子さんの全詩集も出ましたが、わたしにとっては、ルネ・シャールは「挫折」です。ソルグ河をたずねたり、かれが住んでいた地方を旅したりもしたのだけれど、かれのフランス語にわたしのフランス語の力がついていかない、という挫折感を乗りこえることができませんでした。それにくらべれば、ルヴェルディのフランス語はまだついていけます。で、最近は、外に出るときに、このポケット版の詩集をもって歩いているのです。昼の風ですね。

 で、夜。寝る前のほんのわずかな5分か10分くらいの時間にベッドで読むのが、これは、最近は、ドイツ語の詩人たち。2冊あって、どちらも中村朝子さんの訳なのですが、『インゲボルグ・バッハマン全詩集』、それにゲルナーの『ゲオルグ・トラークル』。
 でも、トラークルをまじめに追っかけているというわけではないですね。なにかを探しているだけなんです。で、昨夜、突然、これかな、と思うものをみつけました。後者の本の終わりのほうに出てくる、わたしはどういう人かまったく知らないのだけど、ラスカー=シューラーという女性の詩、トラークルに捧げた二行詩。その二行詩という形式に魅かれるものがありました。
 で、ちょっと実験しようかな、という気持ちになっています。
 なにかチャレンジしないとつまらないでしょう?
 まだわかりませんが、月がかわって7月、明日から試みにやってみるかもしれません。


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