破急風光帖

 

★  日日行行(359)

2020.06.02

* 6月に入りました。角をひとつ曲がった気がします。グレーの雲に覆われた空。新しい風景は見えません。でも、なにかトンネルをひとつ抜けて、また次のトンネルに入るわずかな空白の光かな。

 じつは昨夜、ブログを書きはじめて、なにも書くことがないことに気がついて途中でやめました。本来なら今月は、パリに行き、夏至の頃のパリの光(Martinet ヨーロッパアマツバメが舞うあの空の明るさ!)を見に行こう、月末にはコレージュ・ド・フランスで「悪」についての国際シンポジウムもあるし・・・と考えていたのが、シンポジウムは当然延期となり、国境は閉じたまま、出発は見送りです。かくしてグレーの空に宙づり。
 昨日、アーティストのクリストの訃報を読みました。彼を直接知っていたわけではありませんが、世界が新しいカオスの時代に突入しつつあるいま、この人生で親しんだいくつもの固有名詞の星が消えていくのを感じます。個人にとっての「時代」は、固有名詞によって形成されているので、近くの銀河系から遠くの星雲まで、ひとつひとつの星に名前があって、特異性があって、つまり「例外=謎」で、その名の群に親しみながら、自分自身の「宇宙」をつくっているわけですね。このプラネタリウムのような「小宇宙」で、あの星がひとつ消え、こちらの一等星の光も消え・・・同時に、自分自身もまた消えていくのだとしても、しかしわたしとしては、いや、もうひとつの「星」をみつけたい、そういう感覚がありますね。
 この人生で形成してきた(いまもしつつある)「コバヤシ・ヤスオ」というアイデンティティ(これだってじつは、取り替えた名前だから第2のアイデンティティなのですが)には還元されない、アイデンティティ形成そのものをディコンストラクトするような「存在の冒険」を夢見ますね。「夢」です。が、「夢」は現実以上に真実なんですね、時には。「誰でもないもの」ーーー今度のわたしの拙著『日常非常、迷宮の時代』(未来社)もパウル・ツェランから借りたこの言葉で終っていますけれど、それは、特異性がない無記のものではなくて、逆に、激しいまでに特異的です。「誰でもないもの」の祝祭!、そう、1月に青学の「最終講義」でCelebrationという言葉を掲げましたが、その「シボレート(合言葉)」に忠実に生きていきたいと、少し明るさがましてきた6月のグレーの空に言挙げするわたしです。
 (あのCelebrationという言葉にそれなりの「覚悟」がこめられていたことを、誰か感じてくれた人がいるかなあ・・・・?そうじゃなければ、あんなことしないよねえ??あれが「激しさ」というものなんですねえ。)


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