★ 日日行行(354)
* 4月9日の本ブログ(319)に中国の雑誌「南方人物週刊」にわたしのテクストがアップされましたと書きました。そのテクストの日本語原文を公開しようかな、という気になりました。コロナ・ウィルスについて真正面からあまり書いていないので、この際、あのおかしな?テクスト原文を本ブログでも2、3回にわけてお披露目しようかな、と。ある女性が「素敵な原稿」と言ってくださったのに勇を得て。以下、その第1回です。
(1)
想像しよう、どのようにしてか、突然に、わたしのパソコンのスクリーンに、かつて東京で教えたことのある若い中国人の女性の顔が映り、彼女が真剣な表情で、わたしに尋ねる、「これまで哲学的思考を実践してきた先生、あなたは、いまや世界中に拡がった、この新型コロナ・ウィルスの災厄を通して、人類にとって、いったいなにが根底的に変わったとお考えですか?」と。
彼女の名前は、玲鳳だか、羅姫だか、いずれにしてもRとしよう。そして、わたしはD。
あまりにも突然の問いかけにとまどいながらも、そしていかなる準備もしていなかったので自分がひどく間違ったことを言うのではないかと怖れつつ、でも、その「危険」を引き受けることがひとつのささやかな「義務」でもあろうと、わたしはスクリーン上の、遠くて近い、Rにむかって語りかける。
D———「そう、まず思うことは、あなたは『なにが変わったか?』と訊いてきたけど、変化はいまはじまったばかり、これがどこに行きつくのか、誰にも予想ができない。そのような予測不可能な未来が、世界中のひとりひとりに突きつけられている、これこそ根底的な変化だ、ということかな。
さらに言うなら、この変化、じつは、今年あるいは昨年末からはじまった一時的な現象ではなくて、いつからとは決められないけれど、過去何十年単位ではじまっていた、人類全体にとっての〈大変動〉の決定的な兆候だと考えるべきだと思いますね。」
R———「つまり、先生は、これは、新型コロナ・ウィルスだけに限った問題ではないと考えてらっしゃる?」
D———「そう。〈問題〉としては、いかなる〈正解〉もないところで、しかしそれに対する具体的な方策を懸命に探し求めるしかない。医学的、経済的、社会的、政治的、心理的、メディア的・・・あらゆる次元で、この〈問題〉に取り組むしかない。そしていま、世界中で数多くの人々が、みずからの生死を賭けて、ぎりぎりの努力を続けている。そうした危機の〈現場〉に対して、哲学的な思考はなにもできない。まったく無力。だが、その〈無力〉を耐えるというか、無力の耐忍を通して、それでもこの〈大変動〉の〈本質〉をつかみ、そこにひとつの〈希望〉を見出そうとしたいわけだよね。
R——「哲学は〈希望〉を見出そうとするのね?」
D——「そのとおり。現象の〈本質〉をつかみ、それを〈言う〉ことで、〈希望〉を届けたいんだよね。でも、間違えないでね、その〈希望〉は、哲学する者にとっての〈希望〉ではないよ、誰でもない者の〈希望〉、これからやってくる者たちの〈希望〉、他者の〈希望〉ですよ」。
R——「では、今日、三月二七日ですけれど、世界中で感染爆発がとまらず、感染者の累計が50万人に近づき、死者の数も優に2万人をこえている恐ろしい事態を前にして、あなたはどのような方向に〈希望〉を見出そうとなさるのかしら?」
D——「ほんとうに絶望的なまでに恐ろしい事態です。戦慄が走ります。ここから出発して〈希望〉を語るなんて狂気の沙汰です。よくわかっています。でも、ただひとつ、この〈脅威〉が、いまや世界のすべての人間にとって共通の〈脅威〉になっていること、しかも地球温暖化や大気汚染などのようにある程度長い時間をかけて進行していく現象ではなく、即今、いまこの瞬間に、地球上のひとりひとりにとって、そのまま生死がかかった問題であること、そこに注目したいと思いますね、しかもそれは他の誰かの〈所為〉に還元できない。なにしろ、〈敵〉は目に見えない、ほとんど〈無限小〉のウィルスなんですから」。
R——「でも、そのウィルスは、人工的につくられたものではないかという意見もあれば、これこれの国の陰謀ではないかという臆見だって流れてますけれど・・・」
D——「そうですよね。人間は常に、みずからの不幸を他人の〈所為〉にして自分を護るという自己弁護の論理を備えていますので、事態が深刻になればなるほど、危機的になればなるほど、責任を他者に押しつけて、みずからのアイデンティティを護ろうとします。でもそれは〈敵対〉の論理であって、哲学がもとめる〈希望〉の論理ではありません。哲学は、今回のウィルスがどのように生まれ、どのように伝播したのかという現実的な問題とは別の次元で、この現象を見つめようとするのです。
すなわち、まったく目に見えないウィルスが、生物としてのわれわれの身体を乗っ取って自己増殖し、すると、かなりの確率でわれわれの身体そのものが破壊されてしまうという現象が、一地方のトピックではなく、まさに地球規模でグローバルに——しかも爆発的に!——進行しているということが見えてきます。」
R——「やはりウィルスそのものが問われるわけですね?」
D——「そうでしょう?ウィルスって、自分自身では自己増殖できない、うまく適合した他の生物の細胞を乗っ取って増殖していく、生物と非生物の中間、境界的な存在ですよね。生物以前ですけれど、でもRNAかDNAのどちらかひとつなのですが、遺伝子という情報の核を備えている。生物と非生物のあいだにあって、ある種の情報のスキームというか、構造というか、それを保持していて、その情報のセットが他者を通して自己増殖しようとするというわけですね。これ、われわれ人間の〈常識〉からすると、途方もないことではありませんか?」
R——「そう聞くと、なんだか、〈生物以前の生命〉みたいな感じがしてきますね?」
D——「そうですよね、そこに〈生命〉とは、本質的に他者を乗っ取って自己増殖しようとする情報の核であり、しかもその存在エネルギーが、ある場合には不活性のまま眠っていて、しかし他のエネルギーを得た瞬間に活性化して爆発するという構図が見えてきますよね?地球上の生物の根本である〈細胞〉という構造をもたない〈生物以前の生命〉、ウィルスというこの途方もなく奇妙な、ある意味ではきわめて脆弱なのだけど、しかしひとたびそれが生き延びることができたら、ある特定の生物(たとえば〈人類〉)を絶滅に追いやることすらできる・・・わたしのような無力な〈野原の哲学者〉にとっては、このようなウィルスの存在論こそ、いま、考えるべきことなのですね。」