★ 日日行行(336)
2020.04.26
* 前ブログに、他者の「呼びかけ」に応える形で自分の思考のことば、詩のことばを発してきた、と書いたわけだけど、今日になって、でも「呼びかけ」に応えられなかったこともあったなあ、と思い出しました。
はっきりと覚えているのは、90年代の半ばだったか、ワタリウム美術館のマダムから小林秀雄について書いてくれ、と頼まれたこと。強い要請だったのだけど、どうしても引き受けられなかった。いま、この時点で、わたしの隠れた「出発点」でもある小林秀雄についてさらっと書くことはできない、そのためには自分にとってかれがどういう存在であったかをわからなければならず、そのためには時間がかかる、いまはできない、という論理だったと思う。
この「応答できず」への責任(?)あるいは敗北の感覚はずっと残り続けていて、いつかはどうしてもそれを返さなければ・・・と。その機会がやって来たのが、2010年だったか、北京大学で批評について発表をしなければならなかったとき。ベンヤミンと魯迅をつないで十分なヴォリュームの発表は用意できたのだが、十数年前の誰も知らない自責が甦ってきて、そのあとに小林秀雄の「当麻」を論じる部分をつけくわえた。発表時間を大幅にオーヴァー。わが友、チャン・シュートンがいいよと言ってくれるのにはげまされて、駆け足でその部分を喋りました。その中身は拙著『存在のカタストロフィー』(未来社)に収録されていますが、まさに応答可能性という意味での「責任」。その不充足はずっと心に傷となって残るんですね。