破急風光帖

 

★  日日行行(330)

2020.04.20

* この春、新しく大学に入った新入生もいれば、職がかわった人もいる。みなさん、人生の転換期の新しい出発なのに、この状況・・・わたしのように転換して舞台からおりた人間はいいのだけど、新しい舞台に出るはずだった人たちが舞台にあがることもゆるされない。心が痛みます。いったいそういう人たちに、なにを言ってあげられるんだろう?そう考えます。わたしはすでに、そのような言葉を発する立場にはないのですが、でも考えてしまいますね。

 事態をどう見るか、ということについては、わたしは、これは一過性の災厄ではなく、一連の連鎖する災厄、9.11からはじまる21世紀のカタストロフィー連鎖の一環だと見ています。ということは、形は変わっても連載は続いていく。人類は、この災厄の連鎖に立ち向かうべき時代を通過しつつある、と。テロリズム、経済ショック、放射能、地震、気候変動、感染症、火山爆発、動乱,戦争・・・と。これに対して、人間が、これまでの社会、資本主義、国家、その他すべてのシステムをどう考え直すか、迫られている。どこかに正解があるわけではなく、複雑系のカオスのなかで、どのように道が開かれてくるか・・・そのためにはどこかで論理には回収されない感覚を「開く」ことが必要だと思います。
 だから、まずひとりひとりが、「例外」あるいは「謎」としての一個の人間の資格において、(つまりどこからかもってきた権威を借りてではなく)、存在のレギュレーションを目指すことができなければならないのでは、と思います。自分をどう(コントロールではなくて)統御するか、統合するか、自分と自分の時間をどう統合するか。そしてそのためには、ほとんど無意味とも思われるような「些細なこと」が重要になってくるのではないかしら?
 「意味」以前のわずかな差異、角度の差とか、少しの柔軟性とか、静かさとか・・・それがひとつの「肯定」(「否定」の対極にあるわけではないような「肯定」ですね)につながればいい。そんなことを考えています。というより、そんなふうに生きようとしています。けっして何事も誰かの「せい」にしないというかな?最終的にはセレニテのレッスンですね。
 そのように、毎日、ただ歩いているだけですが・・・・わがスマホによれば、この1週間の1日平均歩数は8000歩でした。


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