破急風光帖

 

★  日日行行(320)

2020.04.10

* 三食、自宅で食べる。しかもそれが毎日続く。こんなことは、わが人生でもはじめてのことですね。だが、意外と時間が速くすぎていくような感覚があります。いくらか読み、いくらか書き、あとは午後に1時間くらい近所を散歩するのと、いくらかの家事(結構、食事をつくってます)のほかは、研究室からもってきた膨大なドキュメントを少しずつ整理するという日々。

 数えたことがないからわからないけれど、書評など新聞や雑誌の小さなコラム原稿やら、エッセイ、対談、論稿、さまざまな講演、シンポジウムのドキュメント、さらには書きかけのノオトなど、たぶん優に二千くらいはあるのではないでしょうか。20歳からならこれまでに50年間だから、平均年40本、月なら3、4本。となると、いや、もっとあるかもしれません。
 わたしは、書き下ろしで本をつくることがほとんどなく、あちこちに断片的に書いたものを集めて単行本をつくってきたので、すでに収録されているものも多いのですが、未整理のものがまだまだたくさんあります。それを整理しているのですが、なかには忘れているものもあって、われながら、感心して読んだりする。それでまた時間がかかるのです。
 先日もたぶん安原顕さんから頼まれて『リテレール』に書いた「海外ミステリー・ベスト5』などというエッセイ(94年)をみつけて読んでみたら、その「5人」をあげるのに「色」できめているのが、さすが?「康夫流」と自分でも、おもしろかったですね。つまり、「ミステリー小説の魅力は結局は景色だ」と冒頭に言い放って、ディック・フランシスの「茶色」、シムノンの「グレー」、レオ・マレの「同じグレーだが、乾いた硬さ」、そしてロバート・B・パーカーやキャビン・ライアルのアメリカの「白」と書いてある。この頃はこういうミステリー随分読んでいたんですね。いまは、まったく読まないけれど。
 昔、自分が書いたものを読み返して、「だめだ」と思わないところが、わたしの限界ですね。へえ、うまいこと言ってるじゃん!みたいな感想になってしまって、反省がない。どちらかというと、いまはこんなにうまく言えないなあ、という感じすらしてきます。反省がないから、進歩もない。といって、昔のものを整理しながら、自分にこだわりたいというわけでもないのですね。これを片付けておかなければ「先」に行けないという感じなのです。
 せっかくこの歳まで生きて、責任を背負う場から解放されたのだから、いまこそ、「小林康夫にちゃんとけりをつけなければ・・・」という感じ。けりをつけるために、残ってしまっているものを分類整理しなければ、と。理想的には、ここ5年くらいでこの作業を終えられるといいのですが・・・・


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