破急風光帖

 

★  日日行行(329)

2020.04.19

* 昨日のブログでは、フーコーについてのわたしのドキュメントを整理しているということを書きましたが、その作業は終わりました。バルトの分とあわせて1万5千字くらい書いたのですが、そのほとんどは昔のテクストや座談会の自分の発言を書きうつしたものでしたので、わりと楽でした。でも、自分にとってのフーコーの存在がどういうものであったのかはあらためて確認できました。

 で、今日は日曜で休むつもりだったのですが、そのまま次のリオタールのセクションに手をつけてしまいました。すると、やはりわたしの「師」だったわけですから、いろいろ感情が襲ってきます。1998年に先生が亡くなったときは、わたしは4本も追悼文を書いています。たぶん日本人としては、わたしがいちばん親しかったと思いますので。
 リオタール先生とは長い対談を2回しています。今回、それを中心に、リオタールとわたしの「遭遇」をまとめておきたいと思っています。
 でも、不思議ですよね。先生のご自宅にも別荘にも、また再婚なさったあとのご自宅にもお邪魔したことがあります。ご夫妻といっしょに伊勢・京都を案内して旅をしたこともあります。日本の先生だってこういうことはまずないでしょう?最近は思い出すこともあまりなかったのに、昔のドキュメントを読み返していると、回想の時間が流れて作業が進みません。
 それにしても、ほんとうにありがたい出会いであったなあ、とこみあげるものがありますね。先生からわたしはなにを学んだか?そうですね、自由かな?知性にとっての自由。ひょっとしたら、いちばん大事なものかもしれませんよね。

 バルト・フーコー・リオタールで1冊つくり、デリダとその他でもう1冊と考えています。


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