破急風光帖

 

★  日日行行(328)

2020.04.18

*3月20日のこのブログ(309)の最後に藤のことを書きました。ヴェネチアの街で見たテラスの上の藤棚、それを「煉獄」の「罪」の花、と。

 その記憶のゆえか、昨日、午後の散歩の途中で立ち寄った農協マーケットの園芸のところで、小さなちいさな藤の鉢をみつけたら、買わないわけにはいかなかった。昨夜は風雨が強くなりそうだったので、その鉢を屋内に入れてテーブルに飾って、淡い藤色の花房を眺めています。この色の淡さが奇妙な感覚を呼びおこすのですね。「罪」ねえ?・・・でも、いまや世界は「煉獄」どころか、「地獄の門」が開いたような状況。これにどう向かい合うのか。
 いま作業している、ミシェル・フーコーとわたしがどう出会ったのかを整理している文章では、かれの晩年の「モラルの思考」の核とも言うべきフランス語の「se déprendre」という動詞に心惹かれましたね。自己への愛着から脱するというか。自己を突き放すと言ってもいいかもしれないけれど。そういうことを考えます。すると、そこに「やわらかい光」が差し込んでくるというような・・・作業も一段落したので、ちょうど風雨もおさまったしと、買物ついでの散歩に出ました。街は雨に洗われてきれい。八重桜もハナミズキも躑躅も咲きほこり、青空ものぞいて。黄昏の美しい光。ただ歩いているだけ。なにも思わずに。これがわが「煉獄」でしょうかね?
 


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