破急風光帖

 

★  日日行行(325)

2020.04.15

* 前回、Sérénitéについて書きました。静謐、あるいは明謐という新造語にでもしましょうか。

 で、思い出したのですが、あるときに、「ぼくは79歳ぐらいのときに、静謐というか、透明な境地に辿り着きたいかな」とある人に言いました。そうしたらその人の目から一筋涙が流れた。そのときは、十数年前でしたから、わたしも50代、70すぎまで生きることなど考えたこともなかったのですが、その人から、「年取ったら、ご自分がどうなると思いますか?どうなりたいですか?」みたいなことを不意にきかれて、咄嗟にそう答えたのでした。
 それは、大阪の国立国際美術館の館長室。友人の建畠さんが館長で、展覧会のオープニングに行ったのだったか、その部屋には大勢の人がいたのですが、展覧会に出品してらしたアーティストのやなぎ・みわさんと話をしていて、彼女の作品は老いをテーマにしたものだったので、話が「老い」になったわけです。やなぎさん、この問いをいろいろな人にしているとのことでしたが、こういう答えをした人はいなかったと、一筋の涙を流してくれた。真正のアーティストというのはそういうものなのですね。わたしこそ感動しました。そして、それ以来、そう思って生きてきています。でも、昔は、79歳なんて夢物語でしたが、いまや70歳。もうあと9年です。
 まあ、今回のコロナで、79歳まで生きられる「確率」はだいぶ下がりましたが、それでも生きられたとして、Sérénitéに至ることができるのか、いよいよ毎日の「洗いもの」をマインドフルに行わなければなりませんね。そしてまた「小林康夫」というvaiselle (食器)あるいはvaisseau(船)を洗わなければ・・・心をこめて。9年なんて、あっと言う間ですから。


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