破急風光帖

 

★  日日行行(318)

2020.04.08

* この春からは当ブログも少し減速と思っていたのですが、緊急事態宣言も出て、みなさん自宅に閉じこもるのであれば、こういうときこそ、パブリックな情報ではなくて、「顔のある」個人的な言葉が、他者が生きているという感覚をもたらすかなあ、と。わたしの「生」では、語るべき「花」はないのだが、無味乾燥も悪くはないかもしれない。せっかくブログという場をもっているのだから、なにか言葉をアップしようと、よく晴れた春の空を見上げながら思いました。

 で、思うのは、1968年わたしが大学に入ったら、6月には全学ストライキ突入で授業がなくなり、キャンパスはデモそして封鎖のカオス。まさにロックダウン。そして今度は、そうして入った「大学」という場、いや、「わが庭」から、2020年、ついに出ましたとなったら、社会のほうが、緊急事態で、ある種の「ストライキ」、「封鎖的状況」! いったいなんだ、これは、と不謹慎だけど、笑っちゃいます。
 68年は、わたしの精神にとても大きな影響を与えていると思いますけれど、しかしそれは、(いま、告白しておきますが)、新入生として、ほとんど責任を感じることなく、その時代のもっとも尖った雰囲気だけを、まるで非常の「祝祭」のように、駈け抜けた感覚です。あの68年の「東大駒場」1年生というあり方は、その後のわたしの動き方に大きな影響があったのではないか、といま、思いますね。それがどういうものだったか、あとの世代にはなかなか感覚できないかもしれません。

 こんなことをぼんやり思う今朝のわたしです、ということを言いたいだけです。

 もちろん、いまの事態は、68年とはまったく異なったもの。そこには「人間」がいません。目に見えない〈無限小〉のウィルスとの見えない「闘い」。「精神」の出る幕はない、みたいな。でも、そうかな?こここそが、「精神」の出番なのでは?「精神」という目に見えない〈無限小〉のね?
と考えたりもする。

 昨日、あるところから、この事態を受けた「未来への提案」を、という文章の依頼を受けたので、書けるかどうかわからないけれど、今日は、その仕事に取り組むことにしようかな。
 早くもツツジが咲いて。急速に春爛漫。新緑に芽吹く樹々が美しい。世界はこんなに美しいのに・・・人間の災厄は終ることがない。「苦」の連鎖。連鎖する「苦」。だから、今日1日を、できうる限り「静かに」生きる・・・


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