破急風光帖

 

★  日日行行(317)

2020.04.06

* 緊急事態宣言、直前という緊迫した状況ですが、あえてそれとは無関係の個人的な出来事?をアップしましょう。昨日、とてもびっくりしたことがあったので。

 最近はほとんど執筆することもないのですが、毎月、青土社さん、律儀に雑誌『ユリイカ』、『現代思想』を送ってくださいます。3月号の『ユリイカ』の特集は「青葉市子」。まったく知らない固有名詞なので、机の脇に置き去りにしておいたのですが、昨日、散歩から帰ってお茶を飲みながら、何気なくぱらぱらと。そうしたら、吉増剛造さんや朝吹真理子さんらのテクストに並んで、東大のわが教え子である菊間晴子さんも高山花子さんも論稿を寄せているではないですか。さすが表象文化論、いいねえ、と読んでみた。
 そうしたら菊間晴子さんの論稿には、なんとデリダのクリプト論ほかが引用されているではないですか!そうくるのか、まるでわたしがやりそうなことではないか。菊間さんがそこまでデリダ読みこんでいたとは、知らなかった、と。なんだか嬉しく。
 続いて高山花子さんの論稿を読みはじめたのだが、これが、冒頭から、ムムム・・・!!!と。「一月最後の水曜日の夜」という言葉からはじまる文章が記述しているのは、くじを引いたら、デンマークのランドスケープについての本があたった!という出来事。これ、わたしの青学のほんとうに最後の「番外授業」での出来事だよねえ?と。それを「枕」にふったのか!大胆不敵、と。しかし、それで終らない。もちろん、ちゃんと青葉市子のアートと関係づける運びにはなっているのだが、論稿の最後には、その1週間前に行ったわたしの「最終講義」にあたる「Celebration」の模様が報告されていて、しかもそこでわたしが朗読した、「難民を助ける会」の写真集に寄せた、わたし自身の「詩」!までが引用されていたのです。これにはびっくり。わたしは、宮川淳先生の影響もあって、「引用」を問題にしながら思考してきたと思いますが、「引用される」側のことまで考えたことがなかった。今回、「引用」がブーメランのようにわたし自身に戻された。唸ってしまいますね。思いがけないところで引用される「喜び」(というのか、ちょっと羞恥心もあり、言葉に詰まるような感覚)。不意打ちでした。
 しかも、これで、部分的だけど、わたしの「詩」も『ユリイカ』に載ったわけだ。70歳まで生きると思いがけないことも起こる。
 こうなったら、青葉市子さんの「声」聴かないわけにはいきませんね。同じく「吟遊詩人」であるみたいだし。
 「きみたちこそ、花々!」と菊間晴子さんと高山花子さんの名を小声で呟くわたしでした。


↑ページの先頭へ