破急風光帖

 

★  日日行行(289)

2020.02.09

* パリに着いてちょうど1週間。いまは、青山学院の大学院生たち(コバヤシ・チルドレン)に「パリ文化の現地授業」を実行中。わたしだけのYasuo-Parisのルートを案内しています。まあ、パリの多層のテクスチャーに触れる!レッスン。こんなことも人生で最後かなあ、と。

 昨日は、午後は、マレー地区がメインで、ポンピドゥー・センターにも行ったのでしたが、開会中のボルタンスキーの展覧会はともかく、その下の名品コレクションの展示を見ていて、やはり、わたし自身のアートの感性は、もちろんデュシャンからはじまってですが、ロスコー・クライン・ジャコメッティ・ドスタール・マチス・ポロック・・・といったアーティストたちによって形成されたということがよくわかりましたね。もう何度も見ているわけですが、かれらの作品を見ていると、客観的に「見る」というより、まるで自分自身の過去を見ているような気持ちになって、どこかじーんしてきます。うるっとかな。それは5階の展示空間なのですが、逆にそれからひとつおりて4階のもっと新しい世代のアートになると、それはわたしの同時代であるわけですが、複雑な気持ちになる。反発もあったりして。こういうことが70歳の効果かもしれませんね。「ひとつ前の時代」に育てられ、自分を育み、そして同時代というのは、ある意味では、自分が格闘した時代、複雑な気持ちになるのも当然かもしれません。そんなことを思ったりします。
 今朝は、ロダン美術館に行きました。いつ行ってもすてきな、学びが多い空間です。エロスと絶望のあいだに引き裂かれるように生きているこの地上の「肉体」のことを思いました。なにかを教えられているような感覚です。この滞在中に、今度はひとりでもう一度行ってみようかな。
 でも、これを書いていて甦ってくるのは、最初に行ったドラクロワ美術館の2枚の小さな風景画なんですね。どうしてでしょう?アートとの出会いもおもしろいですね。ほんとうに「出会い」であるのは稀だけど、それが起こるとなにかが変わりますね。

  (ロダンの「秘密」です)。
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