破急風光帖

 

★  日日行行(282)

2019.12.29

* 今年は1月に中島さんとの共著『日本を解き放つ』(東京大学出版会)を出し、12月に単著で筑摩プリマー新書の『若い人のための10冊の本』を出しました。それに個人編集雑誌『午前四時のブルー』(水声社)の第3号。さらに、フランス語の詩画集『D'eau et de feu』。

 結構、仕事したと思いますが、じつは、あと2冊予定がありましたが、すすみませんでした。ひとつは雑誌『未来』で連載させていただいているオペラ戦後文化論の第2巻。そして、フランス哲学との出会いをまとめる本。
 前者はこの年末に出た「未来」誌で、連載はここで打ち切って来春に本にしますと宣言しました。この冬休みに残りの原稿を書こうと思っていたのですが、母親問題で、少し棚上げ。新年元旦から書き最後の2幕を書きあげたいと思っています。武満徹からはじめて多和田葉子まで1970年から1991年くらいまでおっかけてきましたが、最後は、もう「時代の舞台」の奥の隅にのっていた自分自身を追うような展開になってきました。歳ですかね、やはり自分がどう生きていたのか、振り返えざるをえない気持ちがあります。というのも、わからないからですね、生きているその瞬間には、その「意味」は見えない、わからない。だからこそ、事後的に、それを見出すことが必要です。自分が何であるのかを理解するためにも。でもそれを、ほかの人にも意味があるように書かなければならない、たんなる回想回顧をするのではなく、あくまでもわたしが見た、生きた時代の文化のエッセンスをそこで再確認したいのですね。
 もう一冊も同じ趣向かな、わたしがどのように「フランス現代哲学」と出会ったのか、その遭遇の激しさをやはりまとめておきたい。フーコー、デリダ、リオタール、ナンシー、・・・・その人たちと「出会った」。「読んで研究しました」というのでは全然なくて、命がけで出会った、その「冒険」をそれなりにまとめておきたいのです。わたしは「激しさ」furorということをよく言いますけど、わたしの「激しさ」は、なによりも同時代のフランスの「哲学/思想/詩/アート」に向けられていました。そこに遭遇があった。「知」は「冒険」なんです。冒険しない知なんて、たんなる検定試験のための知識にすぎません。ばかばかしい、人生かけるようなものではない。わたしの「激しさ」のひとつの「花」はまちがいなくこの遭遇にありました。それに深いふかい感謝の心をもっています。振りかえってその「火」を確認し、そうしてそう、その先にいきたいですね。


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