破急風光帖

 

★  日日行行(280)

2019.12.27

* 筑摩書房の月刊PR誌「ちくま」に、國分功一郎さんがわたしの『若い人のための10冊の本』の紹介テクストを書いてくれました。

 さすが若い哲学者、あの本のなかのわたしの回顧的パセティックな部分はばっさりと切って、哲学的な構造をつかみ出すというアプローチ。なるほどねえ、と。最後には、言葉における「剰余」という問題設定にもっていってくれました。「剰余」という言葉は、わたしは使ったことがない言葉ですが、読ませていただいて、それは、わたしにとっては「美」であり、「リズム」であるということがよくわかりました。結局、あの本は、哲学と詩とが裏表であり、その「詩」とは、なによりも、「美」であり、「リズム」である、と主張しているということが自分なりにあらためてわかりました。すてきな読者との対話の成果です。そして、それこそ、わたしが70年かけて生きようとしたものなのかもしれないと・・・感慨がありますね。22歳のときに、自分はオーセンティックな詩人ではないと断念して、「詩」を捨てたのでしたが、いや、それだからこそ一層、わたしは、ある意味では、「詩」しか書いてこなかったんだなあ、ということがよくわかります。詩集という形ではない、詩という形ではない、でも、詩だけをただ書いてきたんだ、と。その意味で、ほんとうはオーセンティックであったのかもしれない、と。ふしぎですね。


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