破急風光帖

 

★  日日行行(278)

2019.12.15

* 今年もあと半月を残すのみ。なにか切迫するものがありますね。個人的には、来春で、青山学院の特任教授の職が終わり、次の職はないので、いよいよ「定年生活」に突入ということがあります。あと2ヶ月で70歳ですから、当然でもありますが。

 でも、東大を定年して、この5年間、ほんとうにありがたい5年でした。特任なので、アドミニストレーションの仕事から解放され、教授会を含めて、出るべき会議はなく、しかも研究室までいただいて。キャンパスのある場所は青山表参道でお洒落な街だし、責任やプレッシャーがなく、しかし大好きな大学という場に身を置くことができました。大学院つきのポストなのですが、院の授業も正規のものはあと3回。最後は、ある種の「最終講義」(1月22日)、その前は院生の発表会なので、もうわたし自身の講義はありません。今週の講義は、建築の伊藤先生と共同企画で、建築家の内藤廣さんを招いて、友情トークをすることになっています。(水曜18時30分、青学3号館3410教室)。
 内藤さんとも、95年に志摩の「海の博物館」を訪れて、テクストを書いて以来のおつきあい。最近は日本デザイン振興会の評議員会でも顔を合わせまています。今学期の授業のテーマが「人」なので、建築家になるとはどういうことか、みたいな話をお聞きしようかなあ、と思っています。
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 というわけで、青学でお借りしていた研究室、そこに駒場から本を運びこませていただいていたのですが、それを全部、片付けなくてはならなず、毎日、奮闘しています。若い人で、本気であるテーマを研究するつもりがある場合、わたしがもっている本が役に立つなら、差し上げますけどねえ。
自分で買った本というより、いただいた本とか、研究費で購入したものとか、いろいろあります。散逸するのがもったいないなあ、とも。なにしろ『若い人のための10冊の本』のなかでも、本という物質的存在こそが大事なんだ、と繰り返し述べているので、どの本にもある種の愛着があるのですが、人間関係もそうですが、この「愛着」というのが悩ましいんですねえ。

 でも、同時に、70歳。過去を全部捨ててしまってもいいんじゃない?という声を聞えてくる。すでに多くの同世代の友人たちが物故のリストに入っています。わたしだって、そうそう長くはないかもしれない。人生は本質的に未完成とはいえ、過去にしがみついた未完成と、それでもなにかをはじめようとする未完成とは意味がちがいますよね。師走の空を見上げながら、そのようなしょうもないことを、ぐだぐだ思う年の暮れ。
 そういえば、昨夜、散歩しているときに、遠く西の空低く、流れ星ひとつ水平に飛んで行きました。Etoile filante! 流れよ、空を切り裂いて!



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